読者目線に近づくことがコンテンツを出す側の使命
ラジオ、新聞、テレビ、雑誌、幅広いメディアの経験を持つ松崎泰弘さん。当時大スクープとなった北海道拓殖銀行のスクープ取材の裏側、また様々な経験から見える記者の魅力についてお話を伺いました。
Qまず現在の会社に入られた経緯について教えてください。
大学を卒業した後、1985年に『ラジオたんぱ』、今の『ラジオNIKKEI』に入社しました。そのあと、『日本経済新聞』への出向や営業なども短期間経験したのち、1996年に北海道放送(以下HBC)へ転職、そして『東洋経済』に移りました。いろんなメディアを渡り歩いていますね。あと経験していないのは広告代理店くらいでしょうか。よく紙媒体から電波の媒体に移る人は話に聞くのですが、私の場合は逆、レアケースですね。
入社前、もともと中学生からラグビーをやっていて、ずっとスポーツをやっていたので、スポーツ報道に関わりたいなと思っていました。しかし蓋を開けてみると、受かったのは新聞社1社と『ラジオたんぱ』の合計2社。どうしても放送に近い場にいたかったのが入社の決め手でした。私は体育会系だから営業か、競馬中継担当だろうと思っていたら、なぜか証券記者クラブに配属になったんです(笑)。兜町の記者クラブに入り、株式市場や証券会社などの取材をしていました。
しかしそれをきっかけに記者の仕事を面白いと感じ、もっと自分の世界を広げていきたいと思ったんです。テレビの世界にちょっとした憧れもありましたし。北海道の基幹局であれば大きな仕事もできるし、キャリアも活かせるだろう、と考えて選んだのがTBS系列のHBCでした。実は日経新聞で募集を見つけて、履歴書を書いて応募したのです。
Qその後『東洋経済』に転職された経緯は?
理由は2つあります。1つめはITへの興味。転職した2000年頃はちょうどITバブルと呼ばれた時でした。とにかくIT、ITという話が耳に届く。ITは地域格差をなくす、という話もありますが、当時札幌に住んでいた私にとっては、格差は確実にありました。経済記者の仕事を続けるためには、東京に行って、ITの流れとは何なのかを見たほうがいい、と思ったんです。
また2つめに、「書くことができる」というのは記者として重要なスキルだと思ったのですが、テレビだと書く訓練がなかなかできない。取材したことをどれだけ表現できるかについてはテレビと活字媒体には大きな差があります。100取材したうち、10のことを紙面に載せられるのが活字媒体だとすると、テレビの世界は2~3しか出せません。
経済ニュースには、抽象的かつ理屈っぽい側面があり、テレビの世界では従来、敬遠されやすかった。このため、夕方のニュースでは、社会、政治などのネタの後に経済ニュースが来るという感じです。そこがテレビの経済報道の難しさですね。
Q松崎さんが今まで関わった取材の中で印象に残っている案件を教えてください。
やはり1997年11月17日の「北海道拓殖銀行破たん」のニュースですね。結果としてJNN(TBSテレビをキーステーションとするテレビネットワーク)のスクープになりました。実は、当時一緒に取材をしていたTBSの西野智彦さん(現報道局長)という敏腕記者の力によるところが大きかったのですが。同日は新聞休刊日。朝6時20分すぎにスーパー(テロップ)速報、6時半に定時ニュースで詳報、7時半ごろには他社に先駆けて大蔵省と北海道拓殖銀行の前から中継を入れました。
スクープ前、西野さんとは夜討ち朝駆けで得た情報を毎日のように電話で交換していました。ちょうどスクープ前日は11月16日の日曜日、今夜は動きないな・・・と話をしていたのですが、取材先に足を運んでみるといつもいるはずの人がいない。「どうも様子がおかしい」と西野さんと連絡をとりあい、最終的に東京でウラを取っていただきました。そして、スーパー速報。あの時のことは、鮮明に今でもよく覚えています。
後日談なのですが、北海道拓殖銀行の中では、マスコミに見られるとまずいということで前日からろうそくの灯で仕事をしていたそうです。実際に私が17日の夜中の2時くらいに本社へ行ったときは、確かに電気が消えて真っ暗でした。そういう駆け引きみたいなものがあったのです。そのような場面に出会えたことは、経済記者としてとても貴重な体験でした。
Q経済記者として仕事をするうえで、大切にしていることは何ですか?
読者目線という言葉に尽きますね。テレビでしたら視聴者目線でしょうか。少しでもそれに近づくことがコンテンツを出す側の使命だと思っています。これがシンプルだけどすごく難しい。最初にラジオにかかわったとき、どうすれば聞いてもらえるか、をずっと考えていました。それと同時にスポンサーの意向というのもあります。視聴者とスポンサーの意向というのは必ずしも一致しているわけではありません。
また、テレビでは経済ニュースとはどうあるべきか、ということで悩みました。社内でも議論をしたし、いまだにテレビ局の経済担当記者はよく考えていると思います。証券の記者クラブにいたときからずっと思っているのですが、投資をやらない人でも、マーケットや経済の動き等について知っていただきたいという気持ちは強いですね。株価は森羅万象を映す鏡。経済というのはありとあらゆるものにかかわっているので、伝えることに意味も価値もあると思っています。
しかし伝え方が非常に難しくて常に悩みますね。伝え方に失敗すると、読者や視聴者にすごく遠い世界のもの、という印象を与えてしまいます。『週刊東洋経済』は、管理職の方々が読まれることが多いのですが、それはそれで良しとする一方で、若い方も無視することはできません。
金利がこれだけ低くなって、年金不安もあり、リスク資産で運用しなければいけない時代になりつつあります。しかし20代から40代の方にそういう情報を伝えるのは難しい。弊社(東洋経済)の場合、オンラインが充実しつつあるので、若手リーダーに向けた記事も増えてきています。ここがうまく育ち、相乗効果で雑誌を読む人も増えるようになるといいですね。
Q広報の方々とのお付き合いで印象に残っている事などがあれば教えてください。
この仕事をやっていて、記者はやっぱり人と付き合うのが一番の魅力だと思います。スクープをとったというと、「何か成し遂げた」という達成感のようなものはありますが、それは一瞬の出来事です。過程の中で得られたものや、そこで出会った人との関係、それが一番大切だと思います。結局、情報というのは人からじゃないと来ないですからね。
だからHBCの時代、北海道拓殖銀行の取材の時は、いろいろと辛いこともありました。経営破綻というのは当事者からみれば、とても悲しいこと。ただ、報道するときはそうした気持ちを押し殺していた部分もありました。でも、報道が一段落がした後、広報担当者の方とは飲みに行きましたね。
いろんな広報担当者の方とは、長く良いお付き合いをさせていただいています。記者の中には、広報とあまり親しくなるのは良くないという人もいますが、私はこういう性格なので結構、深くお付き合いさせていただいているかもしれません。記者というとドライという印象をお持ちの方もおられますが、どこかウェットな部分もありますね。
(取材日:2012年3月7日)
松崎 泰弘氏
- 媒体名
- 週刊東洋経済