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NyoNyum(ニョニュム) 山崎 幸恵氏のトップ画像

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単身カンボジアに渡り、初のカンボジア生活情報誌を創刊

カンボジア生活情報誌「NyoNyum(ニョニュム)」を創刊した山崎幸恵さん。青年海外協力隊としてカンボジアに派遣された後、単身カンボジアへ渡り王立プノンペン大学に入学。首席で卒業後、通訳として活躍され、今では会社経営者に。山崎さんにカンボジアや「NyoNyum(ニョニュム)」への思いについて伺いました。

Qもともとカンボジアという国に興味を持たれたきっかけというのは何だったのでしょうか?また、カンボジアで活躍される原動力になっている想いなどがあれば教えてください。


子供の時から、メディアで世界の紛争や難民、貧困の様子を目にしてきました。なぜ私たちの生活とこんなにも差があるのだろう。その理由を知りたい、見たいという興味がずっとありました。同じ地球に、同じ時代に生まれてきた人たちが苦しんでいると知ってしまった以上、何かしなければいけないんじゃないかと幼心に思っていたのです。
カンボジアについては、当時は地雷やポルポトなど負のイメージばかりが報道されていました。衝撃を受けて何かしたいと思う一方、カンボジアは本当にこんなに悪いことばかりの国なのかな?という疑問もありました。
青年海外協力隊の存在を教えてくれたのは、私の子供の頃からの想いを知っている母でした。1994年に青年海外協力隊の日本語教師としてカンボジアに派遣されましたが、任期の途中で病気になり、派遣中止となってしまいました。
それがとても悔しくて、一年後に一人でカンボジアに戻ってきたのです。

一人の人間が一生のうちにできることなんて、本当にちっぽけなものだと思います。私はカンボジアという国に何かの縁があって来れたわけですし、この国で多くの人に出会って、たくさんの感動をもらってきました。
「感動」は「感じて動く」と書きますが、関わってしまった以上、この場所で、自分のできる範囲でやれることであればどんどんやっていきたいな、やっちゃおうという気持ちで動いていたら、それが雑誌や会社という形になり現在に至っています。

 

Q今や日本人在住者や観光客にとって欠かせない存在となっているカンボジア生活情報誌「NyoNyum(ニョニュム)」を創刊された経緯について教えてください。


初めてカンボジアに到着した私が、飛行場を降り立ち最初に目にしたのは、カンボジア人の小さな女の子でした。空港に来る外国人を見に来ていたのでしょう。私たちにとってはボロボロに見える服でも、その子にとっては恐らく一張羅であろうワンピースを着て、ネックレスをつけて立っていました。
「可愛いね」と声をかけると、その子はニコッと微笑んだのです。その笑顔がとても印象的で、「ああ、この国はいい国だな」と感じました。日本で報道されていたカンボジアの負のイメージとは全く違うものがこの国にはあるのではないかと思ったのです。
大学卒業後、フリーランスの通訳として働きながら、田舎の村に行ったり、地雷原に行ったり、エイズになったお母さんに会ったり、いろいろな場所で、多くの人々に会いました。その度に、マスメディアでは伝え切れないカンボジアの姿を「伝えたい」という思いが大きくなっていったのです。
通訳という仕事も「伝える」仕事ですが、誰かが言ったことを機械的に置き換えて伝えるだけのツールです。
通訳だけでは伝え切れずに不完全燃焼になっている想いを何かの形で吐き出したいと思っていた時に、日本で編集をしていた女性と知り合い、マスメディアでは伝えられないことを扱うミニコミ誌を作ろうという話になったのです。
コンセプトは、観光ガイドでもビジネス書でもなく「生活情報誌」と決めていたのですが、タイトルが決まっていませんでした。「オークン(ありがとう)」にするか「サバーイ(元気)」にするかなど迷ったのですが、どれもしっくりこなくて。そんな時に、空港で見た女の子の笑顔を思い出したのです。そうして2003年10月、「ニョニュム(笑顔、微笑み)」が創刊されました。

 

Q「NyoNyum(ニョニュム)」を制作される際、意識していることはありますか?


プノンペン大学でカンボジア人の同級生達に混じり勉強していた時に気付いたことがあります。
カンボジア人のクラスメイト達は皆一生懸命に勉強しているのですが、彼らは皆、「自分はこんな勉強をして将来何になるのかな」とか、「自分達の未来があまり見えない」と言っていたのです。
当時は地方では戦争も起きていて、政治も安定していないという、本当に混沌とした時代でした。若者達は自分達の国や未来に、誇りや希望を持つことができなくなっていたのです。
私が「カンボジアにはアンコールワットという素晴らしい文化があるじゃない」と言った時、「アンコールワットさえ、自分達とは違う民族が作ったものだと思ってしまう」という答えが返ってきました。
彼らが自分たちや自分たちの国に心から自信を持てるようにならなければ、いくら外国からお金が持ち込まれても、インフラを整えても、工場を持ち込んでも、この国の発展はないのだなと思いました。
なので、「NyoNyum(ニョニュム)」を通じて、若者達に自分達の国は素晴らしい国で、外国人にとってはカンボジアのちょっとしたこと全てが魅力的に映っていることを知ってもらいたいと思いました。

カンボジアの色々なこと、どんなに他愛ない小さな事でも、カンボジア人の編集スタッフを中心に調べてもらっています。それを記事にして、反響があれば嬉しいでしょうし、少しずつ自信がついてくると思うんです。自分達の国を見つめ直し、いい事も悪い事も含めて自分達の国を知るということを繰り返すことで、すごくいい効果があるのではないかと思っています。
また、編集スタッフだけでなく、「NyoNyum(ニョニュム)」を愛読してくれているカンボジア人もいます。日本語は読めないけれど、絵を見て「カンボジアのことを書いてくれている、嬉しいな」と思って見てくれているそうです。日本語を勉強している子や日本語観光ガイドさんは、日本人にカンボジアのことを紹介する時に「NyoNyum(ニョニュム)」を使ってくれていると聞きました。「NyoNyum(ニョニュム)」が一冊仕上がると、日本語を勉強しているカンボジア人の子が「ください」とやってきてくれるのは嬉しいですね。

 

Q「NyoNyum(ニョニュム)」を10年続けて来られて、嬉しかったことはありますか?


やはりスタッフが成長していく姿を見られたことですね。カンボジア人スタッフは、最初のうちは本当に受け身で、企画のアイディアを聞いても何も出て来なかったんです。「みんな本当に何もアイディアないの?」「あなたたちはロボットですか?」って怒ったりわめいたりした時もありました(笑)。でも最近は、自主的に企画のアイディアを出してくれますし、企画会議でも皆でああだこうだと話し合うことができるようになりました。自分達が作っている「NyoNyum(ニョニュム)」に誇りを持ってくれている気持ちが伝わってきて嬉しく思っています。

 

Q苦労したこと、大変だったことはありますか?


10年間続けるのは、本当に苦労しました。特にお金の面では、ずっと赤字でしたから。実は10年前がちょうど日本とカンボジアの友好50周年記念の年だったのです。選挙も行われて、政権が安定したら、日本からビジネスがたくさん入って来ると読んでいたのです。日本人が来れば「NyoNyum(ニョニュム)」への広告も増えるだろうし、今がチャンスだと思っていました。ところが選挙の後、政権が成立しなかったのです。海外から見たら、政権が安定していない国に投資なんてできるわけがなく、誤算でしたね。どこからも出資を受けずに「NyoNyum(ニョニュム)」を創刊し、通訳で稼いだお金を注ぎ込んで一年間月刊誌として頑張っていたのですが、二年目からは隔月に落としました。

あんなに苦しくてきつかったのに、どうして10年間続けることができたのだろうと考えたのですが、まず「やめる」という選択肢はありませんでしたね。やはり皆の働く場ですし、やめたら皆が仕事を失ってしまう。
それから、私はやはり「伝えたい」という気持ちが大きくて、伝えたいことがたくさんあり過ぎるので、やはり続けなければいけないという気持ちがありました。まあでも、一番大きな理由としては、やめることを考える時間がないほど忙しかったということでしょうか。ネガティブなことを考える暇がないくらいに忙しくて、多くの方に支えられて、とにかく前へ前へ進むしかなかったんだと思います。

それで今年、10年遅れでカンボジア投資元年がやってきて、日本人や日本の企業がたくさんカンボジアに入ってきました。広告も一気に増えまして、今はコンテンツを減らさずに広告枠を増やすにはどうすればいいか、なんてことで編集長と悩んでいます。

 

Q現在は通訳とCJSinc.の会社経営に尽力なさっている山崎さんですが、思い入れのある「NyoNyum(ニョニュム)」の編集長を辞められた理由は何だったのでしょうか?


人間の子供もそうですが、最初は母親や両親が守っていきますが、歩き始めると、周りの人たちが手を引いてくれるようになったりして、社会が子供を育ててくれるようになるじゃないですか。「NyoNyum(ニョニュム)」は私が産んで赤ちゃんの時は保護してきたけれども、もう10才ですし、母親として見守ってはいるけれども、お母さんの手を少し離れて社会と交わって、色んなことを勉強する年頃なのかなと思います。
また、やはり「餅は餅屋」だと思いまして。私はアイディアは出せるのですが、編集のテクニックは持ち合わせていませんし、勉強する時間もありませんでした。私が見よう見まねで編集長をやっていた時期は、ハチャメチャなページが出来ていたんです(笑)。もう無理だと思い、編集長ができる方に来てもらったのです。
現在経営しているニョニュムショップに関しても、アイディアで土台は作れるのですが、実際の細かな運営となると、在庫や棚卸しのやり方を知らないので、餅は餅屋でプロの方に来てもらえればなと考えています。

 

Q最後に、今後山崎さんが目指していきたいものは?


私がやっていることは、全て「情報」が核になっているのです。通訳として情報を伝える、「NyoNyum(ニョニュム)」で情報を伝える。今経営しているニョニュムショップも、伝統や文化や物産など、こんなにいいものがカンボジアにあるという情報を伝える場なのです。なので、通訳も雑誌もショップ経営も、全てが情報発信であり、私の中ではリンクしているのです。弊社の社名である「CJS」は、「Cカンボジア JジャパンS サービス」だと思われる方も多いのですが、実は「Cカンボジア J情報 Sサービス」で、「情報」が核になっているのです。これからもカンボジアの情報を伝え続けていきたいですね。

 

(取材日:2013年7月18日)

山崎 幸恵氏

媒体名
NyoNyum(ニョニュム)

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