パイオニアのDNAを受け継ぎ、挑戦し続ける
1971年、日本で初めて山手線の外側に建設された超高層ホテル「京王プラザホテル」。ホテル広報歴13年の斎藤潤子さんは、開業時からのパイオニア精神を受け継ぎ、「業界初」に挑戦し続ける。
「業界初」がモットーのパイオニア精神
Q企画と広報を兼任されていますが、現在の活動内容を教えてください
プロモーション商品・イベントの企画とメディア対応、広告、SP ツールの制作などを行っています。核となっているのが、会員4万人にも送付している媒体『PLAZA Smile』の毎月の発行です。8ページにわたって特選メニューやイベントを紹介。インフォメーションだけでなく、料理長や音楽家へのインタビューなど、ホテル文化を伝える記事も掲載しています。
その他に、マスコミ向けのニュースリリースも配信。イベントや新しい宿泊プランなど、月に平均10個ぐらいのニュースがありますので、目次用の表紙とリリース10枚をひとつのビニール袋に入れて、マスコミの方々へ郵送しています。2012年11月号では、弊社バーテンダーが黄綬褒章を受章した記念のカクテルフェアや、定年退職者向けの歓送迎会プラン、ホテルの壁面に光のアートを演出する催し「X’masイルミネーションナイト」などを発信しました。
Q企画を作る上で大事にしていることはありますか?
京王プラザホテルは1971年、日本初の超高層ホテルとして開業しました。新宿新都心の再開発の核であり、山手線の外側に立つ初めてのシティホテルということもあって、ディズニーランドとスカイツリーが同時に誕生したような驚きと高揚感があったそうです。
開業当時から、京王プラザホテルは「業界初」が大好き。パイオニア精神に溢れ、新しい商品・サービスを世の中に提供することをモットーにしています。レディースプランも、都内ホテルでは私たちが初めて手掛けました。
Qレディースプランはどのように企画したのですか?
あれは1993年、私が入社3年目の頃です 。南館の4名様用の部屋をファミリー向けに売り出すことになったのですが、夏休みが終わると、ファミリー向けのニーズが極端に減ってしまうので、宿泊部門から「何とかならないか」と相談を受けました。
家族連れに代わるプランはないかと考えていたところ、確か他の業界で「レディースパック」のようなアイデアが出始めていて、これをホテルにも応用してみようと思いついたんです。修学旅行で女性同士が夜通し語れるようなイメージでプランを作成。あまりの応募に、特典でつけたワインのコストがかさみ過ぎて大変だったのを覚えています(笑)。
入社すぐに広報へ配属。コンプレックスを克服した上司のひとこと
Q入社してすぐ、広報に配属されたそうですね
私自身とまどいました。てっきりホテルのフロントや宿泊係などの現場に配属されると思っていましたから。ずっと「現場を経験せずに広報の仕事をしてもいいのか」というコンプレックスがぬぐえませんでした。
ある日、レストランのベテラン女性マネージャーに相談したところ、「現場を知らないというメリットを生かして、お客様目線で発信してほしい。外からの視点で、ホテルの美しさを認識し、改善案を出してもらいたい」と言われ、吹っ切れたような気がします。
Q7年後に今度は現場へ異動されましたが、その時はどのような経験をされたのですか?
フロントでのチェックインとお問い合わせ対応業務、セールス部での法人営業の外回り、ブライダルの商品企画を経て、料飲部へ配属になりました。レストラン&バーの販促企画を担当したり、新規開業するレストラン&バーのプロジェクトチームに参加したり、また繁忙時間帯やイベント時は現場に出て接客も経験しました。
Q現場経験は今の広報業務にどのように生きていますか?
料飲部時代の経験で、今の広報活動に生きているのは大きく4つあります。1つ目は、「料理長のシーズニング(調味料)講座」、「シャンパンフェア」など、レストランフェアの企画・運営経験です。開催当日は、実際に参加されたお客様と直接触れ合うことができ、お客様目線を肌で感じることができました。
2つ目が、現場の方と築いた人間関係。レストラン&バーの販促活動全般に携わりながら、店長や料理長と意見交換を重ねて築いた信頼関係が、今の業務に欠かせないものになっています。
3つ目は、ホテル内の新規開業店舗のプロジェクトに参加できたこと。店舗の開業にあたり、SWOT分析からコンセプトを立案するなど、徹底的な調査と議論を繰り返しました。外部を意識した戦略的な思考を養えたのではと思います。また、店舗の成り立ちを理解できたというのは、その後のPRにも大変役立ちました。
最後が、朝食での配膳サービスや、ランチタイムのキャッシャー(レジ)経験です。現場のオペレーションを頭でなく身体で感じることができましたので、メディアから問い合わせを頂いた際や取材時においても、現場の状況を頭に浮かべながら対応することができます。
変わり続ける、生み出し続けるDNA
Q企画広報に戻ってからはどのような活動をされたのですか?
企画広報に戻ったのは2006年。レストランや客室、宴会上など、約100億円の資金を投入したホテルの改装がひと段落した頃でした。併せて、発信するメッセージや広報のやり方も見直すタイミングだったのではと思います。最初はブライダル部門に着手しました。実は、内装を改装したにも関わらず、売上が下降していたのです。
そこで、それまでは漠然としていたウェディングのコンセプトを、ゲストへの感謝を込めた「おもてなしウェディング」に策定しました。ブライダル部門のスタッフとミーティングを重ね、「駅から近い」「料理のおいしさ」「付帯施設の充実」などゲストメリットを謳ったコピーを揃え、売上を立て直しました。今でこそ「おもてなしウェディング」は一般的ですが、ホテルウェデングに新しい風を生み出せたのは嬉しかったですね。
Qホテル広報歴13年、今までの経験から広報に必要なスキルは何だと思いますか?
「誠実である」ことですね。社内の情報を記者に発信する場合、また現場の人と協力する際も、誠実に、感謝の念をもって、謙虚な姿勢で臨まないと上手くいきません。
Q最後に今後の目標を教えてください
企画広報での13年のキャリアを生かして、京王プラザホテルを海外に向けて発信したいですね。個人的には、日本や東京の素晴らしさをもっともっとアピールしていきたい。また、超高齢化社会を前に、シニアマーケディングを充実させつつ、20~30代の若い世代にも「ホテル文化」をもっと配信していきたいですね。
斎藤 潤子氏
- 企業名
- 株式会社京王プラザホテル
- 部署・役職
- 営業戦略室 企画広報支配人
- 設立
- 1971-06-05
- 所在地
- 東京都新宿区西新宿2-2-1
- プロフィール
- 1990年入社。営業戦略室で企画広報に7年間携わった後、宿泊部フロントレセプション、宿泊セールスを経て、2005年に料飲部副支配人。2006年営業戦略室企画広報の支配人に就任し、現在に至る。