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広報主導の新事業でプロフィットセンターを目指す

532万部のベストセラー『体脂肪計タニタの社員食堂』シリーズを皮切りに、飲食業への進出や映画化まで、知名度を急上昇させたタニタ。2006年から同社広報の改革に乗り出した猪野正浩さんに、これまでの歩みを聞いた。

改革は地道に。リストの鮮度を上げ、発信の頻度を増す。


Q前職の新聞記者から、企業の広報担当に転進したきっかけは?


新聞記者として生涯ジャーナリズムの現場にいたかったのですが、さまざまなポストを経て、この後は現場ではなく管理職になるしかないという先が見えてしまいました。ちょうどそのとき、先代の社長・谷田大輔から「社内を変えてほしい」と誘われ、違う視点で会社に関わるのも良いかなと。自分の信じる広報の道が正しいのか確かめてみたい、という気持ちもありましたね。2006年9月にタニタへ入社しました。

 

Q2006年当時、御社の広報はどのような状況だったのですか?


pr_interview_tanita_data_image31994年のヒット商品「家庭用脂肪計付きヘルスメーター」の成功体験から、良いものを作れば売れるという空気が蔓延していました。テレビや一般紙との関係も維持しておらず、こちらからメディアへ出向いてコンタクトするのはゼロ。プレスリリースも年間に10本あるかないかという状態でした。そこで、広報室(当時)の改革に乗り出したのです。

入社から3カ月後の2006年12月に、広報室の室長に就任。翌2007年1月から、まずは社内を歩き、商品情報や困っていることを聞いて回りました。それまでの広報は、来たものを出すという事務処理的なやり方だったので、他の部署の人間も、広報が何をしているのか分かっていない。せっかく社内に情報があるので、それをちゃんと発信するアクションを起こす必要がありました。

まずは、東京商工会議所の記者クラブへ加入し、新聞記者時代の人脈を通じた、持ち込みや挨拶回りを開始しました。メディアリストが生きているのかどうか、オセロみたいに置き換えていき、リストの鮮度を上げつつ、リリースの頻度を増す。これを地道に続けていきました。

 

Qいつ頃から変化が?


2008年の社長交代が大きいですね。現社長の谷田千里とは、目指す方向性が似ていました。外部からPR経験者を採用して、フットワークも発信の頻度も上がっていきました。徐々に歯車がかみ合っていく中で、2010年のレシピ本に繋がっていきます。

 

大ヒットで見えた成功の法則「プラス・スパイラル」


Qレシピ本の大ヒットは狙っていなかったそうですね。


本のパブリシティもやれることはやりましたが、これほど売れるとは予期していませんでした。レシピ本は、当社にとっても、出版社の大和書房さんにとっても初の試みで、5万部売れたら良いな、なんて話していましたよ。2010年1月の初版はわずか12,000部で、最初に増刷されたときも、冊数は3,000~5,000部だったと思います。

ところが、2010年4月くらいに各メディアで取り上げられるようになって、売れ行きは20万部に。そこからまたじわじわと伸びていって、2010年10月にミリオンセラーとなりました。

 

Q書籍が売れるために、広報としてはどのような取り組みをなさったのですか?


pr_interview_tanita_data_image2最初は、「食べて痩せられる社員食堂がある」と聞きつけたメディアが、3人、4人と来ただけでした。そこから「これで500キロカロリーは信じられない」という口コミや記事が広がり、次々と取材依頼が舞い込んだのです。

生活、家庭分野などの一般誌がひと段落したと思ったら、今度は新聞の社会部や医療部、テレビの情報番組などから、さまざまな切り口で取材依頼が殺到しました。私たちは、健康計測器メーカーとしての通常の広報業務に加えてなので、取材対応で精一杯。「受身の広報」に徹するしかありませんでした。

ただ、100万部を突破した2010年の10月くらいに、記事の連鎖というか、情報の拡散の仕方に、ある一定の法則が見えてきました。私たちは「プラス・スパイラル」と呼んでいて、あれだけの掲載、取材対応を経験したからこそ、得られた資産だと思います。今は、必然的にこの好循環を作り出すことができるようになりつつあります。

 

Q「丸の内タニタ食堂」はどのような経緯でオープンしたのですか?


当社は、新商品を出す際に新しいマーケティング手法を取り入れるのですが、3カ月から半年経つと競合に真似されて、弱いところを突かれシェアを奪われる、といった苦い経験を何度も味わってきました。このままでは立ち行かなくなるという、経営側の危機感もあったと思います。レシピ本のヒットを受けて、他社と確実に差別化できる要素に「レシピ」を据えました。それを最大限活用したコンテンツを模索する中で、2012年1月に「丸の内タニタ食堂」はオープンしたのです。当社の事業領域はあくまでもメーカーですが、健康総合企業として、「食事・運動・休養」を一気通貫で支援するサービスも拡充を図っています。

 

脱・内向き。広報はプロフィットセンターであれ。


Q露出が大幅に増えましたが、その効果測定はどのようにしていますか?


pr_interview_tanita_data_image4一般論でいえば、広報はコストセンターなので、露出したことで商品が売れたとか、ブランド価値が上がったとか、自社の事業にどのような効果があったかを求められます。それを主張しないと広報の存在価値を認めてもらえないからです。でもそれは、あまりにも内向きではないか。私たちも、目安として広告換算をしていますが、今回のようなケースでは換算値がとんでもない額になる。そんな単純な数値ではかるのは、ちょっと違うと思っています。

広報は時代とともに変わってきました。マーケティング広報から今は戦略広報などと呼ばれていますが、広報が経営機能の一部であるなら、コストセンターであっていいわけがない。プロフィットセンターとして機能すべきなのです。実際に広報部門が利益を出せば、その存在価値は高まります。

 

Qプロフィットセンターの構想は、いつ頃からお持ちだったのですか?


2012年の初め頃でしょうか。私の信条は、前年を踏襲しないこと。2013年、前期の目標に掲げたのが、市場創造型広報へのシフトチェンジです。2013年4月には、ブランディング推進室が新設され、その中に「広報課」と「新事業開拓課」が生まれました。メンバーは私を入れて6人、みなが両課を兼務です。

新事業は、花開くものもあれば開かないものもありますが、失敗からも学びがあります。PDCAをちゃんと回してやりっ放しにしない。そうしないと、ブランドも信用も劣化していってしまいます。

 

Q新事業の具体例をひとつ教えてください。


pr_interview_tanita_data_image1広報主導で実施したのが、2012年度に開始した「まるごとタニタ生活 体感ツアー」です。第1回を石川県で行ったときは、参加者が60人くらいいて、密着取材でメディアも8社入りました。ただ、ふたを開けてみたら、「何で上げ膳下げ膳をやってくれないのか」「何でメディアがいるんだ」といった苦情が噴出しました。都度迅速に対応したので、最後はみなさん笑顔で帰ってもらいましたが、「タニタの本を読んでくれているから食事のルールも知っているだろう」「メディアが来ることもアナウンスしているから大丈夫だろう」という、私たちの想定の甘さが浮き彫りになった格好です。

そこで、参加者向けにツアーのしおりを作成し、工程表と一緒に渡すようにしました。しおりには、メディアが来ることや、タニタの食事ルール、献立のレシピなどを記載。バスでの移動中や、到着してからも徹底してアナウンスしました。結果、第2回目の熊本はノンクレームで終えることができました。

 

ブームで高まったブランドを維持し、マーケットで突出した存在に。


Qプロフィットセンターであるには、広報スキルに+αが求められますね。


そういう意味でいうと、部下は、私と必ずペアを組んで仕事を進めるようにしています。ブランディング推進室のメンバーは、全ての案件で私とペアになり、やり方や考えを学んでもらう。ポイントは、どうやってその問題を打開するか、必ず自分で答えを出させること。実務レベルに落としたときに一人で回せるようになってほしいので、今はこのやり方で全員がレベルアップを図れるようにしています。

 

Q最後に、今後の取り組みを聞かせてください。


「健康」をテーマにしたコミュニティを作っていきたいですね。弊社は、ローソンHMVエンタテイメントとの協業で、ヘルスケアエンタテインメントコミュニティ「タニタ健康くらぶ」を2013年5月にスタートさせました。健康は、誰にでも共通する普遍的なテーマなので、ゆくゆくは、人と人とがリアルにつながるコミュニティを構築し、それを全国規模で展開したいですね。「タニタ=健康」を定着させたビジネスで、マーケットの中で頭ひとつ抜けた存在になっていきたいと思います。

 

(取材日:2013年6月4日)

猪野 正浩氏

企業名
株式会社タニタ
部署・役職
ブランディング推進室 室長 広報・新事業開拓統括
設立
1944-01-01
所在地
東京都板橋区前野町1-14-2
URL
http://www.tanita.co.jp/
プロフィール
業界紙勤務を経て、1989年に日刊工業新聞社に入社。15年間にわたりさまざまなポストを歴任した後、2006年タニタ入社。室長として同社の広報をけん引する。

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