引き揚げのまち、そして再出発のまち・舞鶴市は、生きることへの希望の記録「舞鶴への生還」の「ユネスコ世界記憶遺産」登録を、舞鶴市長が電子メールで申請しました!

舞鶴市は、平成26(2014)年3月4日午前11時44分、フランス・パリに本部を置くユネスコの世界記憶遺産事業担当者宛てに「舞鶴への生還」と題した市営の舞鶴引揚記念館所蔵のシベリア抑留や引き揚げに関する資料合計570点の「ユネスコ世界記憶遺産」登録を、同記念館から電子メールで申請しました。

平成26年3月7日
舞 鶴 市
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引き揚げのまち、そして再出発のまち・舞鶴
生きることへの希望の記録「舞鶴への生還」570点
「ユネスコ世界記憶遺産」に電子メールで申請
3月4日、舞鶴市長が送信ボタンを操作し、自らが申請
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舞鶴市(市長:多々見良三)は平成26(2014)年3月4日(火)午前11時44分、
フランス・パリに本部を置く国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産
事業担当者宛てに、舞鶴市長を申請者とし、市営の舞鶴引揚記念館(館長:
山下美晴、所在地:京都府舞鶴市字平1584番地)が所蔵するシベリア抑留や
引き揚げに関する資料合計570点の「ユネスコ世界記憶遺産」登録を、
同記念館から電子メールで申請しました。
 なお申請後、ユネスコ世界記憶遺産事業担当者から、電子メールを受信した
との返信メールが舞鶴引揚記念館に届きました。


ユネスコに申請した推薦書は、「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等
日本人の本国への引揚の記録」と題し、シベリア抑留体験の日記、手帳・
メモ帳、俘虜用郵便葉書、引揚船の乗船者名簿など合計570点を申請する
推薦書と別添資料で構成された69ページの文書。本年3月末までに、製本
した推薦書も送付する予定です。
特に注目すべき資料として、3年間のシベリア抑留生活とその間における
故郷日本を想う気持ちを和歌・俳句約200余首にしたためた記録「白樺日誌」。
本資料は、紙ではなく、白樺の皮をノート代わりにして、缶詰の空き缶を切って
ペン先を作り、インクの代わりにストーブの煤で書き留められました。
一種の文学作品の要素も含まれており、文学の創造意欲が作者の生きる力
や希望になっていたと考えられます。

また、映画や歌謡曲で全国的に知られる「岸壁の母」のモデルといわれる
端野いせ(はしの・いせ)氏が、満州へ出征した一人息子の無事の帰国を
信じて、舞鶴引揚援護局に託した“母の深い愛情を綴った記録”ともいえる
葉書5点。なお、いせ氏は、昭和31(1956)年に息子の戦死を知らせる「死亡
告知書」を受け取った後も、昭和51(1976)年7月に81歳で他界するまで、
息子の無事の帰還を信じ続けました。


申請日の3月4日(火)、舞鶴市長の多々見は、舞鶴引揚記念館で行った
報道関係者対象の記者発表会で「今回申請する資料の多くは“生きる事への
希望の記録である”という想いから、申請の推薦書に『舞鶴への生還 
1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引揚の記録』というタイトル
をつけました」と、ユネスコ申請資料に対する思いを延べました。

さらに「世界記憶遺産」の登録に向けて「今回の申請資料は、筆舌に
尽くし難い体験の中でも、生きて帰国することを信じて書かれた記録。
それを待つ家族もまた、再会の望みを持ち続けていました。多くの引揚者は
帰国を果たせなかった方々の分まで精一杯生きようと努力され、戦後の
復興を支え、今日の平和な社会の礎を築いてこられた。「世界記憶遺産」の
登録は、『引き揚げのまち』そして、引揚者の新しい人生と生活の第一歩を
踏み出した『再出発の地』である舞鶴の責務である」と、日本で唯一
昭和33年まで引き揚げ事業に携わってきた舞鶴の市民を代表して、強い
決意を語りました。

会場には、引揚記念館の来館者に引き揚げの歴史や抑留の様子を説明
するNPO法人「舞鶴・引揚語りの会」のメンバーの中で、唯一シベリア抑留を
経験した原田二郎氏(はらだ・じろう、89歳、京都府綾部市在住)のほか、
有識者会議の黒沢文貴会長(東京女子大学教授)、舞鶴市議会の尾関
善之議長など舞鶴市関係者、報道関係者らが「ユネスコ世界記憶遺産」
登録に申請する瞬間に立ち会いました。



【「ユネスコ世界記憶遺産」申請 概要】
申請日
 平成26(2014)年3月4日(火)
申請方法
 電子メール  ※後日、製本した推薦書を郵送する予定
申請者
 舞鶴市長 多々見良三


《申請資料(推薦書)の概要》
資料タイトル⇥
 「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げ
 の記録」
テーマ
 シベリア抑留や引き揚げに関する資料
構 成
 A:シベリア抑留体験の記録
 B:安否を気遣い帰還を願う日本の家族に関する資料
 C:引揚関連資料
点 数⇥⇥
 570点

推薦書の概要:
 「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げ
の記録」は、第二次世界大戦の敗戦にともない日本帝国が崩壊する中で、
ソ連領に抑留された約60万人から約80万人といわれる日本軍人と民間人
たちの、筆舌に尽くしがたい抑留生活と日本本国への苦難に満ちた
引き揚げの歴史を伝える資料である。

彼らの本国への引き揚げは、終戦から11年を経た1956年に終了するが、
ソ連はすでにドイツ人等の旧敵国側の軍人と民間人の抑留を同様に行って
おり、日本人の抑留もその一環としての同時代的意味を持つ歴史的出来事
である。また抑留と引き揚げは、戦後の日本では、国民が戦争のない平和な
世界を希求する上での大きな礎となった稀有な体験として、後世に語り継ぐ
べき大きな戦争の記憶となっている。

当該資料は、意に反して抑留された抑留者たちの困窮や絶望、
生き抜く力、家族への思いや帰国への希望、そして彼らの帰国を待つ
留守家族の家族愛と日本国民の同胞愛など、人類共通の普遍的主題を
伝えるものである。
公的記録が乏しい中、奇跡的に現存する当該資料は、第二次世界大戦後の
悲惨な惨禍を生き抜いた、一人ひとりの人間性あふれるまさに稀有な、
真正無二の世界が共有すべき貴重な遺産である。


※「ユネスコ世界記憶遺産」登録に申請した
舞鶴引揚記念館の公式ホームページ
http://m-hikiage-museum.jp/

企業情報

企業名 舞鶴市
代表者名 多々見良三
業種 国・自治体・公共機関

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