津波の記憶を石碑に刻み全優石が“アートでつなぐ
東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝えるとともに、亡くなられた方々の慰霊の気持ちを込めた「津波記憶石」建立計画がスタートする。その最初の石碑が岩手県釜石市の根浜海岸の松林に、12月初旬建立され、12月9日午後1時半に関係者が参列して除幕式が行われる予定。
「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ……」
東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝えるとともに、亡くなられた方々の慰霊の気持ちを込めた「津波記憶石」建立計画がスタートする。その最初の石碑が岩手県釜石市の根浜海岸の松林に、12月初旬建立され、12月9日午後1時半に関係者が参列して除幕式が行われる予定。
この計画は北海道から沖縄まで、全国の優良石材店約300社で構成する墓石業者の全国組織「一般社団法人 全国優良石材店の会」(略称・全優石、会長・吉田剛、事務局・東京都品川区上大崎3-8-5)が中心になって進める「命の復幸計画」。最終的には岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに500石碑の建立を目指す。
震災以来全優石では、墓石、記念碑、慰霊碑など、長く後世にメッセージを伝える石材のプロ集団として何か復興のお手伝いをできないか、被災された方々の心の拠りどころになるようなミッションは何かを検討してきた。まず最初に取り組んだのがボランティア「東日本大震災お墓修復支援隊」。6月から全国の石材店が被害を受けた墓地の修復に資材を持ち込み、手弁当で支援してきた。この支援活動を通じて被災者と対話する中で、今後の課題は失った多くの命を慰霊するとともに、決して忘れてはならない記憶を子々孫々に伝えることではないかとの結論に至った。
今回の震災では、先人から受け継いだ教訓を守ってきたことで集落ごと被害を免れた地域がある。岩手県宮古市の姉吉(あねよし)地区もそのひとつで、「此処より下に家を建てるな」の津波石で話題になった。これがヒントになり「津波記憶石」計画が生まれた。ウオーターラインや人々の目に付きやすい場所に行政や地域住民の要望と協力を得ながら「津波記憶石」を建てることで、「祈りの慰霊碑」とし、また「命の記憶石」として永く後世に語り継いでいってもらいたいとの願いだ。
「津波記憶石」のデザインは著名なデザイナー、浅葉克己さんが中心になり国内外の一流デザイナーに協力を呼びかけ、アート性も重視する“アートでつなぐ” 「津波記憶石」となる。また地元の子供たちや学生、一般がデザインした「津波記憶石」が建立されるケースもある。立地は津波到達点だけでなく、多くの人が集まり目に付きやすいポイントにも建てられる。そこでは逃げる方向や、その場所より何メートル上に津波が到達したかを警告する碑文が刻まれる。到達点も大事だが、何よりも多くの人の身近かな場所で目にすることに意味がある。
根浜海岸の第一号「津波記憶石」は、浅葉克己さんが嚆矢となってデザインした。ほぼ長方形、高さ270cm、幅70 cm、奥行き70 cmの御影石に、漢数字で二千十一をデザイン化、その脇に3.11の算用数字が刻まれる。北海道の全優石加盟石材店で加工されている碑文には「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと そして、裏山へ逃げ 多くの人が助かったことを 後世に伝えてほしい。」と日・英語表記で刻まれる。また石碑にはステンレスに刻まれたQRコードが貼り付けられ、訪れた人が携帯電話で読み取るとホームページにリンク、津波前の街や津波の様子、そして未来に伝えるメッセージなどを見ることができる「IT津波記憶石」でもある。
(注記:てんでんことは、三陸地方で言い伝えられている言葉で、てんでばらばらの意味。津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。そうでもしないと逃げ切れないという、津波から避難することの難しさを示している。)
建立地は白砂青松の美しい浜として知られる根浜海岸の松林。釜石市管理地であるため市の許可を取り、村民とも相談の上、場所が決まった。この場所にはもともと「根浜海岸」という石碑が建っていたが、今回の津波で倒壊し、土台だけが残った。この土台を活かし、その上に「津波記憶石」を建てる。
釜石市ではこの根浜海岸の他に3箇所の建立地が候補に選ばれている。また他の市町村でも検討が進む。除幕式には石巻市、気仙沼市、仙台市などの関係者も招待されている(予定)。
石材提供や石材加工、建立施工などは全優石が支援する。建立地は市や町、村と相談、さらに候補地の住民の了解を得た上で決めていく。できるだけ多くの「津波記憶石」を建立していくために、全優石加盟店での支援金募集や、企業・団体・個人からの寄付や支援を受け付ける。浅葉克己氏デザインのポスターを販売し、その収益金を支援金として活用するプランも進んでいる。このポスター販売には、ミサワホーム株式会社、スイス パウル・クレー協会、日本パウル・クレー協会、デッサウ・バウハウス財団、浅葉デザイン室が協力、その他ボンド商事などから支援を取り付けている。
世界文化遺産に指定された奥州平泉。その礎を築いた藤原清衡は白河から津軽半島までの道沿いに旅人の安全を祈願し、道案内の役目を担う笠卒塔婆を106mごとに立てたという。そこまではいかないにしても、街々や、津波到達点に「津波記憶石」が建つことで、2011年の大津波で亡くなった人々を慰霊し、未来の子孫を避難誘導してくれる「導きの石」の役目を果たしてくれるだろう。
参考:浅葉克己氏デザインのポスター販売について
浅葉克己氏は全優石の「命の復幸計画」に共鳴し、自ら第一号のデザインを引き受けるとともに、国内外の多くのデザイナーにも呼びかけ、“アートでつなぐ” 「NEW津波石」を全面的に支援することになった。また、支援の一環として自らコンクール用に制作したパウル・クレーをテーマとしたオリジナルデザインをポスター2点として印刷、販売。その収益金を義捐金として活用する。ポスターは1点3,000円。
以上の件に関する取材のお問い合わせは
■一般社団法人 全国優良石材店の会 事務局長 山崎 正子
東京都品川区上大崎3-8-5(〒141-0021)
電話 03-5423-4014 FAX 03-5423-4050
■山崎石材工業株式会社 代表取締役専務 山崎 修
北海道滝川市二の坂町東1-2-1
電話 0125-23-2708 FAX 0125-23-2888
以下のURLでリリース使用の写真がダウンロードできます。
また最新情報、写真が閲覧できます。
http://www.info-ginza.com/zenyuseki/
東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝えるとともに、亡くなられた方々の慰霊の気持ちを込めた「津波記憶石」建立計画がスタートする。その最初の石碑が岩手県釜石市の根浜海岸の松林に、12月初旬建立され、12月9日午後1時半に関係者が参列して除幕式が行われる予定。
この計画は北海道から沖縄まで、全国の優良石材店約300社で構成する墓石業者の全国組織「一般社団法人 全国優良石材店の会」(略称・全優石、会長・吉田剛、事務局・東京都品川区上大崎3-8-5)が中心になって進める「命の復幸計画」。最終的には岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに500石碑の建立を目指す。
震災以来全優石では、墓石、記念碑、慰霊碑など、長く後世にメッセージを伝える石材のプロ集団として何か復興のお手伝いをできないか、被災された方々の心の拠りどころになるようなミッションは何かを検討してきた。まず最初に取り組んだのがボランティア「東日本大震災お墓修復支援隊」。6月から全国の石材店が被害を受けた墓地の修復に資材を持ち込み、手弁当で支援してきた。この支援活動を通じて被災者と対話する中で、今後の課題は失った多くの命を慰霊するとともに、決して忘れてはならない記憶を子々孫々に伝えることではないかとの結論に至った。
今回の震災では、先人から受け継いだ教訓を守ってきたことで集落ごと被害を免れた地域がある。岩手県宮古市の姉吉(あねよし)地区もそのひとつで、「此処より下に家を建てるな」の津波石で話題になった。これがヒントになり「津波記憶石」計画が生まれた。ウオーターラインや人々の目に付きやすい場所に行政や地域住民の要望と協力を得ながら「津波記憶石」を建てることで、「祈りの慰霊碑」とし、また「命の記憶石」として永く後世に語り継いでいってもらいたいとの願いだ。
「津波記憶石」のデザインは著名なデザイナー、浅葉克己さんが中心になり国内外の一流デザイナーに協力を呼びかけ、アート性も重視する“アートでつなぐ” 「津波記憶石」となる。また地元の子供たちや学生、一般がデザインした「津波記憶石」が建立されるケースもある。立地は津波到達点だけでなく、多くの人が集まり目に付きやすいポイントにも建てられる。そこでは逃げる方向や、その場所より何メートル上に津波が到達したかを警告する碑文が刻まれる。到達点も大事だが、何よりも多くの人の身近かな場所で目にすることに意味がある。
根浜海岸の第一号「津波記憶石」は、浅葉克己さんが嚆矢となってデザインした。ほぼ長方形、高さ270cm、幅70 cm、奥行き70 cmの御影石に、漢数字で二千十一をデザイン化、その脇に3.11の算用数字が刻まれる。北海道の全優石加盟石材店で加工されている碑文には「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと そして、裏山へ逃げ 多くの人が助かったことを 後世に伝えてほしい。」と日・英語表記で刻まれる。また石碑にはステンレスに刻まれたQRコードが貼り付けられ、訪れた人が携帯電話で読み取るとホームページにリンク、津波前の街や津波の様子、そして未来に伝えるメッセージなどを見ることができる「IT津波記憶石」でもある。
(注記:てんでんことは、三陸地方で言い伝えられている言葉で、てんでばらばらの意味。津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。そうでもしないと逃げ切れないという、津波から避難することの難しさを示している。)
建立地は白砂青松の美しい浜として知られる根浜海岸の松林。釜石市管理地であるため市の許可を取り、村民とも相談の上、場所が決まった。この場所にはもともと「根浜海岸」という石碑が建っていたが、今回の津波で倒壊し、土台だけが残った。この土台を活かし、その上に「津波記憶石」を建てる。
釜石市ではこの根浜海岸の他に3箇所の建立地が候補に選ばれている。また他の市町村でも検討が進む。除幕式には石巻市、気仙沼市、仙台市などの関係者も招待されている(予定)。
石材提供や石材加工、建立施工などは全優石が支援する。建立地は市や町、村と相談、さらに候補地の住民の了解を得た上で決めていく。できるだけ多くの「津波記憶石」を建立していくために、全優石加盟店での支援金募集や、企業・団体・個人からの寄付や支援を受け付ける。浅葉克己氏デザインのポスターを販売し、その収益金を支援金として活用するプランも進んでいる。このポスター販売には、ミサワホーム株式会社、スイス パウル・クレー協会、日本パウル・クレー協会、デッサウ・バウハウス財団、浅葉デザイン室が協力、その他ボンド商事などから支援を取り付けている。
世界文化遺産に指定された奥州平泉。その礎を築いた藤原清衡は白河から津軽半島までの道沿いに旅人の安全を祈願し、道案内の役目を担う笠卒塔婆を106mごとに立てたという。そこまではいかないにしても、街々や、津波到達点に「津波記憶石」が建つことで、2011年の大津波で亡くなった人々を慰霊し、未来の子孫を避難誘導してくれる「導きの石」の役目を果たしてくれるだろう。
参考:浅葉克己氏デザインのポスター販売について
浅葉克己氏は全優石の「命の復幸計画」に共鳴し、自ら第一号のデザインを引き受けるとともに、国内外の多くのデザイナーにも呼びかけ、“アートでつなぐ” 「NEW津波石」を全面的に支援することになった。また、支援の一環として自らコンクール用に制作したパウル・クレーをテーマとしたオリジナルデザインをポスター2点として印刷、販売。その収益金を義捐金として活用する。ポスターは1点3,000円。
以上の件に関する取材のお問い合わせは
■一般社団法人 全国優良石材店の会 事務局長 山崎 正子
東京都品川区上大崎3-8-5(〒141-0021)
電話 03-5423-4014 FAX 03-5423-4050
■山崎石材工業株式会社 代表取締役専務 山崎 修
北海道滝川市二の坂町東1-2-1
電話 0125-23-2708 FAX 0125-23-2888
以下のURLでリリース使用の写真がダウンロードできます。
また最新情報、写真が閲覧できます。
http://www.info-ginza.com/zenyuseki/
企業情報
企業名 | 山崎石材工業株式会社 |
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代表者名 | 山崎修 |
業種 | その他非製造業 |