売れっ子少女小説家は、現在ニューヨークでトレンドライターに。「創作活動をライフワークにしていきたい」。
少女小説家「青山えりか」名義で、ヒット作『好きから始まる夏物語』など、30数冊を手がけたフリーライターの黒部エリさん。現在はニューヨークを拠点に、ファッション&トレンドライターとして活躍しています。少女小説の世界で得たもの、現在の活動内容などを聞きました。
小学4年時に読んだ、『吾輩は猫である』に衝撃。
小説に興味を持ち、自身でも書くように
Q「物書き」に興味を持つようになったきっかけを教えて下さい。
小さい頃から本が好きで、特に『ムーミン』や『シートン動物記』など、動物が出てくる児童文学を好んで読んでいました。
本格的に小説を読み始めたのは、小学4年生の頃。知り合いの家にあった、『吾輩は猫である』を読んで、衝撃を受けたんですね。世の中には、こんなに面白いものがあるのか! と。その本は、現代仮名遣いに直されている小説だったので、小学生の私でも十分理解することができました。それ以降、他の夏目漱石作品を始め、芥川龍之介など、子供向けになっている小説をひと通り読んでいきました。
具体的に、将来物書きになりたいと思ったのは高校生になってからです。その頃から小説を書き始めました。高校卒業後は早稲田大学文学部に入り、同時に文学研究会にも所属。仲間と一緒に同人誌を作り、自分で書いた小説を掲載していました。当時は今みたいにインターネットもパソコンも、ワードプロセッサーでさえない時代ですから、自分たちで刷って本にして…と全ての工程を手作業で行っていたものです。
自身の小説を卒論代わりに提出し、大学を出た後は、編集プロダクションに入社。1年ライターをした後、フリーライターになった早稲田の先輩の元に弟子入りするため、独立しました。
Q当時はどういう内容の記事を手がけていたのでしょう?
主に、『Hot-Dog Press』など、男性向けの雑誌記事を担当していました。雑誌の中で何ページか割り当てられて記事を書くのですが、私は「女の子特集」など、恋愛ものを手がけることが多かったですね。いわゆる、「読み物系ライター」です。
Q政治や経済など、他ジャンルの記事も担当することはありましたか?
いえ。私はどちらかというと、ハッキリとした意見を持ち、人に切り込んでいくような取材を得意とするタイプではないので、ジャーナリスト向きではありません。それよりも、人の良さ、あるいは映画などの作品や商品の魅力を引き出す取材の方が向いています。これは少し小説を書く作業と似ているかもしれないですね。自分の想像をベースに物語を書くのと、相手の話を聞いてどんどんその世界に引き込まれ、まるで自分がその人になったような気持ちで記事を書くという意味で。
2ヶ月に1冊のハードスケジュール。
少女小説で、徹底した「商業世界」を学ぶ
Q少女小説家「青山えりか」誕生の背景を教えて下さい。
『Hot-Dog Press』の発行元である、講談社に出入りしていた1987年、「講談社X文庫ティーンズハート」という、少女小説系の文庫レーベルが創設されました。当時は、立ち上がったばかりということもあり書き手が不足していたようで、『Hot-Dog Press』の編集者から、「小説が書けるんだったら、レーベルの担当者を紹介するよ」と声がかかったんです。
それがきっかけとなり、1989年から「青山えりか」名義で、30数冊ほどの少女小説を出しました。今でいう携帯小説のようなライトな内容で、小学校高学年から中学生を対象にした恋愛小説です。発売スケジュールが2ヶ月に1回と決まっていたので、当時は多忙を極めていましたね。
Qそれは、大変でしたね…。ところで、「青山えりか」という名前の由来は?
本当は「栗山モンブラン」が良かったんですけれど、「そんなふざけた名前じゃダメ」と編集担当から怒られてしまって(笑)。それで、あいうえお順で早い方にしようと、「青山えりか」に決めました。
Q面白いお話ですね。他にも印象的なエピソードがあれば教えて下さい。
自分で言うのもなんですが、累計で250万~300万冊ほど出ているような人気作品を手がけていたので、毎日のように読者からファンレターを頂いていました。私にとっては、それが何よりの励みでしたね。
ファンレターと言っても、たいていは、読者である子どもたちの恋愛相談なんですが…(笑)。ファン向けの会報誌が出ていたので、可能な範囲でそうした恋愛相談への回答をしていました。
あと、徹底した商業世界を知ったことは、得難い経験になったと思います。たとえば自分では、これは良い作品だ! と思っても、それが子どもたちの欲求を満たしていないと、「売れない」わけです。子どもたちがお金を出して本を買うのは、「感動したいから」ではなく、もっと欲求に正直で、「片思いを実らせたいから」「流行りに乗らないと友達との会話についていけないから」。
つまり、物書きとしての「書きたい思い」と、読者の「欲しいニーズ」をどうやって合致させていくか。この課題と日々向き合えたことは、良い勉強になりましたね。
Q今は、「青山えりか」名義での活動は?
残念ながらしていません。創作活動自体はライフワークとして続けていきたいので、また別の名前で小説を書くことはあるかもしれませんが、少女小説家、青山えりかが復活することはないかな…。
小説と雑誌は使う脳みそが違うので、小説を書きながら他の仕事を並行することは正直難しいんです。実際、青山えりかの活動から、また雑誌の仕事に移行するまで、2年かかりましたから。
雑誌の仕事は、小さな歯車がぐるぐる回っているイメージなので一斉に動かせますが、小説は自分の中に入り込み、一つの大きな歯車を回しながら作品を仕上げていくので、とにかく重い。だから他の仕事と並行することは難しいんです。
今はニューヨークでファッション&トレンドライターとして活動しているので、再び本格的に創作活動に取り組むとなったら、仕事の仕方を考える必要があるかもしれませんね。
ニューヨーク在住20年。
ファッション&トレンドライターの傍ら、PRの手伝いも
Qニューヨークにいらっしゃった時期と、理由を教えてください。
1994年に、拠点をニューヨークに移しました。その前年に音楽ライターに同行して初めてニューヨークを訪れたのですが、90年代はヒップホップが出始めた頃。エネルギーにあふれ、独特の文化を持ったニューヨークにすっかり魅了されてしまったんです。その後何度かニューヨークを訪れた後に、ジャーナリストビザを取得して渡米しました。
渡米後にこちらで結婚したので、今は永住権を持っており、今年でニューヨーク生活20周年になります。
Q今はどんなお仕事をされているのでしょうか?
主にファッション&トレンドライターとして日本のメディアに寄稿しているので、ニューヨークのファッションやトレンド、美容情報などをいち早くキャッチして、日本のメディアから相談が来た時にさっと動けるよう準備したり、依頼内容に合わせて取材をしたりしています。
あと、ニューヨークに視察で来る日系企業のコーディネートや、こちらは完全ボランティアですが、一部PRの仕事も手伝っています。
QPRの仕事というのは?
たとえば、イベントや講演の告知など。これは良い内容だからぜひお手伝いさせてほしい! と思った時に、プレスリリース作成やブログでの情報発信など、多くの人に知ってもらうためのきっかけを作っています。私がこうした活動をするのは、自分はPRに向いていると思っているからです。
多くのPR担当を見ていると、時々、惜しいなと思うところがあります。プレスリリースであれば、「このイベントを知ってもらいたい!」という気持ちから、盛り込む情報が多くなりすぎて、結局何がポイントなのか伝わっていないなど。
多くのメディア関係者は忙しいですし、そもそもメディアじゃなかったとしても、私たち人間は大して注意力が続かないので、あまりに情報量が多かったり、大事な情報が一番下に埋もれてしまったりすると、全く響かないリリースになってしまうんですね。
だから私が気をつけていることは、大切なポイントは多くても3つにしぼり、それを最初に持っていく。それだけで、これはどんなイベントなのか、対象が化粧品であれば何が売りなのかが一目で分かります。
さらにはライターの強みを活かして、なかなか言語化しにくいところ、たとえばイベントの「感動した部分」などを引き出し、ブログで発信するような活動もしています。
Q最後に今後行っていきたい仕事があれば、教えてください。
ひとつは、ライフワークとして続けていきたい創作活動。もうひとつは、読者を違う世界に誘えるようなストーリー性を持った読み物記事。あとは、もっとその人の魅力や生き方を伝えられるインタビュー記事も手がけていきたいですね。私は人に共感する力が強くて、インタビューをしていると、どんどんその人に「憑依」してしまうんです(笑)。
つまりその人のキャラクターに成り代わって、取材も記事執筆もできるということです。なので、インタビュー記事は評価いただくことが多く、私としても自信を持っているので、今後も伝記や自伝などのゴーストライターを含め、色々なインタビュー記事を書いていきたいです。
(取材年月:2014年9月18日/取材と文:公文 紫都)
黒部 エリ氏
- 媒体名
- フリーランス
- プロフィール
- 東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog PRESS』で「アッシー」などの流行語ブームを作り、講談社X文庫で青山えりか名義でジュニア小説を30数冊上梓。94年にNYに移住。主に日本の女性誌を中心に、NYのトレンド情報を発信している。