元温泉ライター。ビジネススクールへ通いながら働く道を選ぶ
保育園の頃から文章を書くことに興味を持ち、小説家になりたかったという小宮理恵子さん。就職活動は出版社にしぼり、念願の編集の世界に入りました。初めて入った会社で、「温泉ライター」という独自の路線をいくことになった小宮さん。現在はビジネススクールに通いながら、編集の仕事を続けています。ご自身の編集・ライター人生を振り返っていただきました。
Q現在関わっている媒体と、編集職に興味を持つようになったきっかけを教えてください。
今は『オーナーズ・スタイル』という、首都圏の賃貸不動産オーナーをターゲットにした雑誌で編集をしています。記事を書くこともありますが、基本は編集者です。2013年3月に入社をしたので、在籍期間は1年ほどになります。
編集職に興味を持ち始めたのは保育園生の頃で、当時から将来は小説家になりたいと思っていました。親が教師なので、小さい頃から読書をすすめられていたからかもしれません。特にアガサ・クリスティや、アーサー・コナン・ドイルなどの推理小説が好きで、小学校高学年の時から熱心に読んでいました。
高校卒業後は早稲田大学に進学し、国文学を専攻していたのですが、3年生になると考古学を勉強したいと思うようになりました。早稲田にはエジプト考古学の第一人者、吉村作治先生がいます。学部で考古学を勉強することができない私は、大学内にあるエジプト学研究所に入って、研究所の仕事をお手伝いしながら、考古学の勉強を始めました。
日に日にのめり込んでいった私は、もっと勉強したいと大学院進学を考えるようになりました。そして大学卒業後、大学院に入るための準備をしていたのですが、考古学の世界を深く知るにつれ、だんだんと考古学を一生の仕事にするのは大変かもしれないと思い始め、その道は諦めることにしました。
そのままどうするか悩みましたが、やはり兼ねてからの夢である編集の世界に入ろうと就職活動を始めました。いくつか候補があった中で私が選んだのは、ファッション誌やカルチャー誌を手がけるインフォレスト。入社後一年間はアルバイト勤務が必須で、その後正社員に登用されるという条件でしたが、手がけている雑誌が面白そうだったので、そこに入ることにしました。
Qインフォレストではどんなお仕事を?
はじめはいくつかの雑誌で編集アシスタントをしていたのですが、1年くらい経った頃に当時の上司から、「顔を出して、温泉ライターと名乗ってみたら面白いんじゃない?」と突然提案されました。温泉は好きでしたが、記事を書いたことはなかったので悩みましたが、しばらく考えた後にその仕事を引き受けることにしました。
当時の私は、編集者を志していた割には人見知りが強く、自分の殻を破る機会を探していたのです。それに駆け出しの編集者が世の中に提供できるものなんて、ほとんどありません。どんなことでも、読者が楽しんでくれるんだったらやってみようと、編集者の傍ら2005年から温泉ライターを名乗るようになりました。
Q温泉ライターの仕事内容とは?
月に1~2回ほど色々な温泉を回って取材し、私が温泉に入っている写真と、レポートをまとめて記事にするというものです。はじめのうちは自社媒体に掲載していたのですが、しばらくすると他の媒体からも取材依頼がくるようになり、寄稿も始めました。また、温泉ライターというキャラクターが確立してくると今度はテレビから取材されるようにもなり、記者でありながら他の媒体から取材されるという特異なポジションになりました。
記事を書くことなんてできるのだろうか……という不安からスタートしましたが、やってみると面白く、次第にもっと記事を書いてみたいと思うようになりました。ちょうどその頃他の出版社も見てみたいという気持ちが出始めていたので、3年勤めたインフォレストを退職。契約編集者として講談社に転職しました。講談社では、温泉ライターの仕事を継続しながら、『TOKYO★1週間』(※現在は休刊)の編集者として、温泉やレストラン等の担当をしていました。
その後1年半ほどしてから講談社を辞め、同じタイミングで温泉ライターを名乗ることも辞めました。温泉ライターとしてテレビに出る機会が増えていた私は、周囲から、「そのまま芸能人になればいいじゃん!」と言われるようになっていました。けれど別に芸能人になりたいわけじゃないし、テレビの取材でプロの芸能人の仕事ぶりを目の当たりにすると、とても私にそんな才能があるとは思えませんでした。ですから一度温泉ライターからは離れ、もっと違う形で文章に関われる仕事をしようと思ったのです。次に移ったのは富裕層向けのウェブメディア『YUCASEE』と『YUCASEE MEDIA』でした。
Qどうして富裕層向けメディアに興味を持ったのでしょう?
音楽やスポーツなど、特定のジャンルを対象にしたメディアだと、その業界の人にしか話を聞くことができませんが、「富裕層」という広いくくりだと業界をまたいで色々な、しかも通常では会えないような人たちに取材にいくことができます。
小さい頃から様々なことを知り、物事を吸収することが好きだったので、いろいろな業界の人の人生哲学・成功哲学を聞きたいと思ったのです。『YUCASEE MEDIA』には立ち上げメンバーとして参画し、3年ほど編集記者をしていましたが、次第にやっぱり雑誌に関わりたいと、別の富裕層向けメディアへ転職することを決めました。
移ったメディアは、『SEVEN HILLS Premium』という富裕層向けの雑誌でした。外部には一切仕事を発注せず、すべて社内で雑誌を作っているという会社です。自分たちで取材をして、自分たちで記事を書く。前職もやや近いところはありましたが、一口に編集と言っても、ウェブと雑誌とではやることが全く違います。ようやく思い描いていた、雑誌の編集と記者を両方兼ねる仕事に巡り会うことができました。
私はこの時、メディアを通じて情報発信する仕事を、初めて心から楽しいと思いました。それまでも編集職に就いていたとはいえ、どこか満足していない部分があったのでしょう。この仕事は天職だと自信をもって言えるほど、のめり込んでいました。
当時私が最も興味を持っていたのは、教育の分野。日本の中高で勉強をし、ハーバード大に入った学生は親からどんな教育を受けていたのか? など、富裕層が子どもをどう教育しているのかに関心がありました。
入社から半年が過ぎた頃、社長から私に、編集長をやってほしいとオファーが来ました。入社間もない私にそんな話がくるなんてと正直ビックリしましたが、自分が天職だと思っている仕事で編集長をやれるのは何かの縁だろうと引き受けることにしました。
編集長になり、もっと雑誌を良くするためには? と考えた時、まず私がゼロから富裕層を勉強し直すべきだという結論に至りました。そこで早稲田大学のビジネススクールに入り、勉強しながら働く道を選んだのです。
ちょうどこの頃、このビジネススクールに、「ラグジュアリーブランディングコース」が新設されるというプレスリリースが出ていました。他のコースだったら難しいかもしれないけれど、ここなら入れるかもしれない。私は必死に勉強し、無事ビジネススクールに入ることができました。ところがビジネススクールに入り3カ月経った頃、『SEVEN HILLS Premium』が休刊になってしまいました。非常に残念でしたがまた別のところで編集職に就こうと就職活動を始め、今在籍しているオーナーズ・スタイルに移ってきました。
それまで特に賃貸不動産に興味があったわけではありませんが、このメディアの読者には地主や、多数の賃貸マンションを持っている富裕層も多くいます。またこうした方々に取材をし、成功哲学を聞き、自分の世界を広げることができるかもしれないと思い、ここに入る事に決めました。
Q最後に、今後の目標があれば教えてください。
これまで編集者を経験し、ライターを経験し、そして自分が取材されることも経験してきました。さらには富裕層という日常生活ではあまり出会わない方々へ取材をし、立場の違う方に取材をする難しさも、成功哲学を教えていただく機会にも恵まれました。
こうした色々な経験を経てきた今だからこそ、語れることがあると思っています。これからも編集という仕事は続けていきますが、またどこかで、私自身の言葉を自身の創作物によって語れる時が来たらいいなとも考えています。ライターとしてなのか、小説家としてなのか、そのあたりは明言しませんが。未来のビジョンはあるので、これからも自分の可能性を信じて、様々なことに挑戦していこうと思います。
(取材年月:2014年2月22日/取材と文:公文 紫都)
小宮 理恵子氏
- 媒体名
- オーナーズ・スタイル