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自問自答を続け、見出したのは「データ」を徹底的に分析することでした

週刊ダイヤモンド編集部記者として活躍されている小島健志さん。記者を目指したのは、大学在学中に始めたテレビ局でのアルバイトで、人気番組の名物プロデューサーに出会ったのがきっかけ。自分だからこそ書ける記事とは?自問自答を続け、見出したのは「データ」を徹底的に分析することでした。

Q小島さんが記者を目指したきっかけについて教えてください。


高校生の頃から漠然とマスコミ業界に憧れていました。大学入学後すぐテレビ局でアルバイトを始め、卒業までの4年間続けました。私が担当していたのは、「朝まで生テレビ!」というテレビ朝日の長寿番組。電話受付、アンケートの集計、パネリストのアテンドなど、番組の裏方としての様々な業務をやらせてもらいました。

記者を目指すようになったのは、その番組プロデューサー(当時)との出会いによるものです。その方は、「ニュースステーション(現報道ステーション)」立上げメンバーの一人でもあり、「サンデープロジェクト」や「ザ・スクープ」などテレビ朝日が誇る報道番組を数々手がけてきた方で、本来普通の学生アルバイトが話をできるような方ではありませんでした。しかし私は縁あってその方と親しくなり、自分が主催している勉強会で講師をお願いするまでの関係になったのです。

その方のお話を聞いているうちに、どんどん報道をやりたいという意識が芽生えていきました。が、テレビ局は総合デパートのようなところですから、報道番組を担当しても、明日には営業部に異動ということもあり、生涯報道だけに関われる保証はありません。ですから本当に報道をやりたいのなら、専門機関である新聞社に行こうと。それで新聞社を中心に就職活動を始めました。

 

Q小島さんが選んだのは、毎日新聞社でしたね。どうしてそちらを?


わずか半年でも、毎日すべての新聞に目を通していると、この記事は面白いか否かの判別ができるようになります。毎日新聞は署名記事なので、誰がどの記事を書いたかが一目瞭然で、この人の記事は面白いと思える人の名前が、ぱっと10人は浮かぶのです。

一方他の新聞社は?と考えると、ほとんど出てこない。もちろんピンポイントでこの人の記事は面白いという方はいますし、自分の趣味趣向にそぐうかそぐわないかといった個人的な感覚もありますが、私にとっては毎日新聞がベストな新聞社でした。

 

Q入社後、配属はどちらに?


鳥取支局です。そこで退職までの3年間、みっちり記者のいろはを勉強しました。鳥取県は人口60万人もいない小さな県です。地方局の新聞は広告が入りにくいため、記事で紙面を埋めなくてはいけません。また、記者の数が少ないので、一人あたりの担当分野がとにかく広いのです。
社会の縮図がわかる場所で、選挙の裏事情から鳥取の自然の話まで、ありとあらゆる分野を取材できたのは貴重な経験でした。

一番苦労したのは、高校野球に関する記事。鳥取には野球部を設けている高校が20校くらいしかないのですが、毎日いろんな高校を回って学生に声をかけ、何かしら記事になるエピソードを引き出さなくてはなりません。プロの選手とは違い一般の学生ですから、短時間でいかに印象的な話を引き出せるかは、取材力にかかっています。ある意味で、事件を追いかけるよりプレッシャーがありましたね(笑)。

でもその時に学んだのは、どんな人にでも絶対輝く瞬間があるということ。ボロボロに打たれた投手も、ずっとベンチ入りできない選手も、必ず何かしらのエピソードを持っています。そこさえつかめれば、良い記事は書けるのです。

 

Qお話を聞いていると充実した新聞記者生活のように感じられるのですが、なぜ退職して週刊ダイヤモンドに?


私は毎日新聞社時代、自分は事件記者としては落第点だと感じていました。事件記者にとっての基本である、「幹部の家に張り付いて取材をし、飲みに行って仲良くなって情報を引き出す」ことが性に合っていなかったのです。

だから、自分にできる事をじっくり考えてみました。そして行き着いたのが、「データ」だったのです。

たとえば県の予算はどんな風に編成されているか、その莫大な予算は何に使われる予定なのか。権力闘争によって根拠の不明な予算がまかり通っていたりもするのですが、これはじっくりと時間をかけて、真剣に資料とにらめっこしないとなかなか気づけないことです。
夜討ち朝駆けをしている事件記者には、その時間がありません。
私は資料からのデータ分析を自分の強みにしていこうと考えました。

しかしデータをエクセルにまとめたところで、新聞に載せることはできませんでした。当時の新聞にはテキストファイルじゃなければ載せられないと言われ、エクセルで作った表は載せることができなかったのです。数字に裏付けられたデータは、時に文字以上の価値を持つこともあるのですが、当時の新聞はそこを重視していないように感じられました。

そんな時に、ダイヤモンド社に勤めていた学生時代の勉強会の後輩から声をかけてもらったのです。毎日新聞では仕事にも人にも恵まれていたので辞める気はなかったのですが、これも縁としか言いようがないでしょうね。

ダイヤモンド社のロゴマークは、「そろばん」をモチーフにしています。それだけ「データ」に対する価値に重きを置いているのです。私がダイヤモンド社に惹かれたのはそこでした。基本発想である「そろばんをもって示す」という部分。

あらゆる経済活動に対して、何らかの定規を当てて答えをあぶり出していく。それが私のやりたいことだと気づいたので、新聞社よりも思いを実現しやすいダイヤモンド社への転職を決めたのです。

 

Qダイヤモンド入社後に手がけた記事の中で、特に印象に残っているものはありますか?


東日本大震災後に書いた、「電力不足」に関する記事です。
私は震災以前から、電力担当として東京電力を取材していました。他のメディアは、電力はニュースになりにくいという理由からノーマークだったのです。

3.11の後、他の媒体も東京電力を追いかけるようになりましたが、震災以前から電力会社の経営状況をずっと見てきた記者は私くらいだろう。そう判断し、私にしかできない記事を書こうと決めました。私の手元には、取材で得てきた東京電力の膨大なデータがあったのです。

当時、「電力不足になる、節電しよう」と騒がれたことは記憶に新しいところだと思います。確かに数字を見る限り電力不足ですし、専門家もそう言っていました。私も疑うことなく、「夏は電力が不足する」という論調で記事を書いていました。

しかしあるとき、一人の読者から電話を頂いたのです。「電力不足というには根拠が足りないのではないか」と。最初はいわゆるクレーム電話だろうと思っていたのですが、なんとなく気になったので東電の「本当の供給力」について調べることにしました。

東電が国に提出しているデータを探し、東電の内部資料を入手しデータを突き合わせていくと、東電が正確な情報を世間に知らせていなかったことがわかったのです。東電が発表している数字は、緊急時に実施される「揚水発電」によって発電される供給量を含めていなかったのです。

この事実が分かり、私は怒り心頭しました。東電は、「こうしないと国民が節電しないから」と釈明しましたが、それでも許されることではありません。計画停電によってトラウマになる子どもが出てくるなど、東電の嘘が国民に与えた影響は大きかったのですから。

私は、「東電の電力不足はウソ」という記事を書きました。通常ここまで言い切るのは珍しく、社内でも賛否両論ありましたが、事実を伝えることは私たちの役目だと掲載に踏み切りました。

 

Qそこに踏み切るに至る想いとはどのようなものなのでしょうか。


私たちの命題は、雑誌を通じて健全な経済発展に寄与することです。そして、顧客である「読者」に正しい情報を伝えること。

けれど、読者だけでなく取材対象も「顧客」なのです。
私たちの仕事は、事実を暴いてその会社をつぶすことではありません。不要な枝葉を切る事です。権力というものには、いつか必ず曲がり角がきます。その時に誰も何も言わなかったら、どんどん曲がっていき、その結果つぶれてしまうでしょう。そこで私たちが「声」を持ち不要な枝葉を切ることで、健全な成長に戻せることもあります。

たとえば過去に担当した記事に関してこんなことがありました。会社の経営不振が続いていた某大企業の内部の方から情報提供を頂き、スクープ記事を書いた結果、大ニュースになりました。翌月その会社でクーデーターが勃発し、社長交代にまで発展したのです。その後、会社の経営は立ち直っていきました。

私は、記者は「月」だと思っています。取材対象という輝く「太陽」があるから、私たちの仕事があるのです。どんなにその記事がスクープになり各方面に影響を及ぼそうと、私がすごいわけじゃない。そこを勘違いしてはいけないと常々思っています。

これからもデータと向き合うことで導きだされた情報が、読者や取材対象のお役に立つことを願いながら、日々取材を重ねていきたいと思っています。

 

(取材年月:2013年9月5日/文:公文 紫都)

小島 健志氏

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