手にするべき人に届けるために、語り手と語り口を選ぶ
AppleがiPhoneで電話を再発明したように、僕らは紙を再発明した」――と、ユビキタスエンターテインメント(UEI)の清水亮社長は胸を張った。同社が7月7日に発売した「enchantMOON」は、独自OS搭載の手書き入力に特化したタブレット端末。一見すると普通のタブレットだが、その開発哲学はこれまでに現れたどのタブレットとも大きく異なっている。今までにない新しいコンピュータはいかに生まれ、どうやって世に広まったのか。
手書きの表現力生かしながら
情報の共有と検索を可能に
QenchantMOONのコンセプトの軸になっている“紙の再発明”とは?
紙は単なる記録のための媒体ではありません。ものを考えるとき、人はペンをとり紙に何かを書きながら考えます。これは、頭の中にあるものを外に出すことで、思考のプロセスを残そうとする作業。書き付けたものを見て、さらに考えを深めていくのです。人類がペンと紙を持たなかったら、文明の発展はなかったでしょう。また、キーボードで入力した文字は、画一的で整理しやすく人に伝えやすいけれども、表現力という点では手書きに圧倒的に劣ります。図を書いたり、アイデアを形にしたりするときには、やはり手書きがいい。
一方、手書きにも弱点はある。それは情報の共有と検索ができないことです。手書きのメモを、サーバーやクラウド上で誰かと共有したり、文字列で様々に検索できたらどんなに便利だろう――それを実現したのがenchantMOONです。
Qなぜ、これまでできなかったことがenchantMOONでは可能になったのですか?
僕自身も、タブレットPC上で手書き入力するメモ帳を作ってみるなど、いろいろ試してきました。その結果身に染みて感じたのは、OSの限界。Windowsというマウスに最適化されたOSで、ペンによる操作をすること自体に無理がある。
それに比べればìOSの方がかなりましですが、やはりiOSはタッチ操作に最適化されていてペンはおまけでしかありません。だから、enchantMOONには、手書き入力に最適化した独自のOS「MOONPhase」を搭載しました。
これは、「ペン入力も」できるのではなく、「ペン入力しか」できません。が、特化したからこそ、よけいな機能を省くことができ、滑らかな入力が可能になりました。手書き文字は自動認識して検索できるし、メモにWebページのリンクを貼り付けたり、別のメモへのリンクを張ったりすることも可能です。
大企業には難しい
エッジの立ったものをつくる
Qタブレット端末の新基軸は、求められながらもどこもなかなか打ち出せませんでした。他社にできなかったことがどうしてUEIにはできたのでしょう?
過去に同じことをやろうとした人は何人かいて、その都度話題にはなりましたが、それが形になってみると、どれも「これは」というものにはならなかった。やはりエッジの立ったものを大きな会社でつくるということは難しく、稟議みたいなものを回していくなかで、とんがった部分はどんどん切り落とされてしまうのでしょう。
また、enchantMOONのために、うちでは2億円かけてAndroidをベースに独自OSを開発しましたが、普通は「ソフトウェアの開発費をどうするんだ」という話になる。そして、自前で開発するよりもただで使えるAndroidを入れろ、Windowsを使え、となってしまうわけです。ハードをつくる会社にソフトウェア技術者はいませんから、お金を稼ごうとしたらそうならざるをえないのでしょう。
一方、我々はソフトウェアの会社ですから、自社で開発できるのが強み。ハードは昨今コモディティ化しており、少ないロットでも対応してくれる工場が中国にはたくさんあります。
だから、enchantMOONについては、「ハードはそこそこだけど、ソフトはすごくいいよ」というのが、うちの売り込み方になる。ソフトの開発力があれば、ハードをソフトの力で演出し、魅力的なモノにしていくことは十分に可能だと思います。
QenchantMOONを手にした人がまず驚かされるのはメイン画面でしょう。電源を入れても真っ黒な画面が表示されるだけでアイコンひとつありません。iPhone、iPadやAndroid端末の進む方向に逆行していますね。
UI(ユーザーインターフェイス)を最小限にした「No UI」は、enchantMOONの大きな特徴のひとつ。紙のノートは、決まったアプリケーションをインストールするのではなく、使う人の目的によって様々な使い方をされますよね。enchantMOONは、まさにそんな使われ方を想定しているのです。だから使い方の決まったソフトのアイコンを並べるようなことはしたくなかった。
さらに大きな特徴として、MOONBlockというブロックのパーツを組み合わせて記述するプログラミング言語を採用していることが挙げられます。MOONBlockを使うと、まるでブロックで遊んでいるような簡単な操作でプログラムを組むことができる。
自分でプログラムできるかどうか――。実はこれがenchantMOONとそうでないものとの最大の違いです。enchantMOONは、与えられたアプリを使うためのタブレット端末ではなく、モノを作り出すことができるのです。
「No UI」を担当した開発チームのメンバーが、「enchantMOONは、それ自体は真っ黒で光らないけれど、使う人の気持ちを反映して光る。使う人が太陽だとすれば、enchantMOONは月のような存在」と言いましたが、まさにその通り。自分でプログラミングをすることで、ユーザーのみなさんにこの月を輝かせてほしいと思います。ちなみに、これがenchantMOONのネーミングの由来です。
わけのわからないものを
つくろうとしていることを伝えたい
Qネーミングに加え、SF映画を思わせる幻想的な映像と独特な世界観を持ったPVが話題になりました。enchantMOONをどんな存在として位置づけ、どんな情報発信をしてこられたのでしょうか?
最初のハードだし、最初のOSですから、完成度が上がっていくまで、ユーザーの皆さんが不安に思うこともあると思うんですよ。だからこそ、ユーザーとのコミュニケーションが大事になります。ここで何よりも大切なのは、その辺もわかっていて、それでもなお、enchantMOONの世界観に魅力を感じてくれる人に届けること。少なくとも、最初に売り出す分については、適切な人に買って頂かなくてはなりません。
どうしたら、enchantMOONが手にするべき人の手に届くのか。僕が考えたのは、語り手を選ぶということでした。enchantMOONは、僕の使える限りの人脈をすべて使い集められる最高の人間にお願いしてつくりました。コンセプトワークの段階から関わってもらった哲学者の東浩紀さん、躯体のアイデアとデザインをお願いしたイラストレーターで漫画家の安倍吉俊さん、プロモーション映像の制作は「のぼうの城」の監督で平成ガメラ三部作などを手掛けた映画監督の樋口真嗣さん、さらに、東大教授の西田友是さん、大手キャリアでOSの開発に関わってきた濱津誠さん…。
発売にあたって、この中の誰かに語り手になってもらおう、と考えました。伝えたいメッセージは、僕らがなんだかわけがわからないものをつくろうとしていること。届けるべき相手は、わけがわからないものをおもしろいと思い、買うか買うまいかを検討するような人たち。
enchantMOONとiPad miniのどちらにしようか迷っている人にアプローチする必要はありません。だってiPad miniと迷っている時点で、enchantMOONのお客さんではない。iPad miniのつもりでenchantMOONを買ってしまったら、その人はがっかりするどころか、きっと怒り出すでしょう。
「わけがわからない」ことを伝えるためには情報を絞り込んだほうがいい。そこで、告知活動の前面に出てもらうことに決めたのが、東浩紀と樋口真嗣の2人です。哲学者と映画監督がタブレットをつくるって、普通じゃないでしょ。こちらの狂気がこれで伝わると思いました。
PVもなんだかよくわからないもの、だからこそ、解釈の余地のあるものをつくったつもりです。暗示的なメッセージとしては「なにも考えずに買っても幸せにはなれないよ」ということ。MOONを輝かせるのはあなたでありあなたの使い方だ、と伝えたかった。目的は達成できたんじゃないかな。enchantMOONの世界観を理解し、楽しみながら発売をまっていただく。その意味では狙い通りのコミュニケーションがとれたと思います。
お客さんになったつもりで
物事を感じ取る
Q部品調達などの問題で当初の予定よりも発売が遅れました。
あのとき思ったのは、とにかく誠実であるべきだ、ということです。一番に予約してくださったお客様の気持ちを踏みにじるようなことは絶対に許されないと思った。そのためには、僕自身が納得できないことは絶対にしてはいけない。
中国の工場の状況はとても複雑で、自分でも判断のつかない事態が起こりました。そして、状況は常に流動的だった。僕自身に経験が乏しいこともあり、工場が「来週できます」と言っているとき、それがほんとに来週なのか、3週間後なのか、2カ月かかるのか、見当がつかなかった。
だから、僕はブログに見たものを見たままつづることにしました。それ以外に誠実に対応する方法がわからなかった。「いつになるかわかりません」と言ったら、お客さんの立場なら怒って当然です。だから、なぜ「わかりません」なのか、そこまで全部クリアにしたのです。それが良かったのか悪かったのかなんて今もわかりません。でも、ああするしかなかったことだけは確かだと思います。
そんな経験を経て、とにかくなんとか発売にこぎ着けることができ、ようやく一息ついたところです。
Q最後に、広報・コミュニケーション活動のあり方についてのお考えをお聞かせ下さい。
広報に限らず、社外の人の見にふれるモノをつくる人、社外の人に接する人、つまりは社員全員のあるべき態度として、自分はなにも知らないお客さんになったつもりで物事を感じ取ってほしい、と思っています。お客さんの立場で、書いた文章を読み直す、ゲームをやり直す、端末を触ってみる。本当にこれでいいのか?と自問し自分で感じ取る。これは自分も含め全員が常にやっていかなくてはいけないことでしょう。
それから、とにかく真剣に考え抜くことでしょうか。どんな職種であれ、考え抜いた上でとった行動が招いた結果については、どっちに転んだとしても自分の糧にすることができます。コミュニケーション活動においても、そんな覚悟を持って望んでもらいたいなと思いますね。
(取材日:2013年7月3日)
清水 亮氏
- 企業名
- 株式会社ユビキタスエンターテインメント
- 部署・役職
- 代表取締役社長兼CEO
- 設立
- 2003-08-08
- 所在地
- 東京都文京区湯島3-1-3 MSビル
- プロフィール
- 1976年新潟県生まれ。電気通信大学在学中に米マイクロソフト社の家庭用ゲーム機戦略に関わった縁で大学を中退。98年ドワンゴ入社。携帯電話コンテンツを立ち上げる。2003年ユビキタスエンターテインメント設立。