銀座柳画廊「島村達彦展」開催 ― 素朴だが繊細 島村達彦の絵画の魅力 ―

「島村達彦展」開催のお知らせ日時:2015年10月27日(火)〜11月4日(水)http://www.yanagi.com/info/archive/shimamura%20tatsuo%20e.html

島村達彦 <略歴>

1922 山形市に生まれる

1946 多摩帝国美術学校 卒業

1955 資生堂で個展

今泉篤男, 山口薫に師事

1963 ブラジルに渡り,

サンパウロ近代美術館館長

マリオ・ペデロッサに師事

1964 サンパウロ アルマンド・アルヴァレス

・ペンチャード美術館で個展

1964 渡仏

1966 マルティニック島 レーヌマチン画廊

で個展

1968 フロリダのアートファインギャラリー

にて個展(1971,1973,1976,1979,1982,

1986,1987)

1971 東京セントラル絵画館にて個展(1973,

1976,1979,1982,1986,1987)

1974 帰国

1983 東京日本橋高島屋にて個展(1997,2001)

1984 梅田画廊にて個展(1989,1996)

1987 大阪・梅田近代美術館にて個展(1992)

1995 銀座柳画廊にて個展

2004 逝去 享年82

2005 山形銀行本店にて追悼展,

山形 恵埜画廊にて遺作展

 

―― 素朴だが繊細 島村達彦の絵画の魅力 ――

白が特に美しい。ふくよかに厚みをもった白である。 それは白大理石の粗面のように思はれる。画面の構成も簡潔だ。 彼の絵に何の説明もない。彼は苦労はしているだろうが純真だ。 その苦労は画面に出さない。そのことが他ならぬ彼の絵を楽しくしているのである。 洋画家 山口薫(『島村達彦追悼展 島村達彦作品集』出版:銀座柳画廊)

島村達彦君の作品は新しい具象の絵である。いわゆる写実の絵ではない。 色彩をできるだけ混濁させず、清麗な色調を平面的に賦彩して空間を構成し、 そこに普通の写実の絵には見られない芳醇な画面を作り上げている。それは、現実に存在するものの形姿というより、画家の心象の内部に在る 形姿の表現なのである。

美術評論家 今泉篤男(同上)

 

【特集記事】(文責:銀座柳画廊広報担当 杉本美樹)

島村達彦遺族からの作品を含む約40余点を展示

 銀座柳画廊(東京都・中央区)にて島村達彦展が開催される。そのもったりとした柔らかな色彩と対象物のまろやかなフォルムが相まって、見ていると心が和む。

 島村達彦先生は1922年山形県生まれ。父は英語辞書の編纂者として知られる厳格な人間だった。そのためか、7年前に行った「島村達彦回顧展」への寄稿では、多くの方が島村先生の目下や目上に関わらず、誰にでも「〜であります!」と誠実に、且つ元気な調子で受け答えをする姿を懐かしがっている。そのように、厳しい家庭で培った真っ直ぐ突き進む根性と謙虚さと、素朴で美しいものを愛する精神があってこそ、島村先生の人を惹付ける作品は生まれる。

 実は島村達彦は1959年にモダンアートとして展覧会に出品している。そして、その後、日本のちょうど裏側、ブラジルに渡ることを決めたのだ。そこでは、中世から現代に至る名品をアメリカ・ヨーッロッパ以外でここまで所蔵している美術館は他に無い為、「奇跡の美術館」と称されるサンパウロ美術館にて師事する。そこで当時の館長のマリオ・ペデロッサ氏に勧められ、翌年パリ行きを決意する。パリでの10年間は孤独な精進の日々だったようだ。だが、島村先生は自身のアイデンテティを忘れなかった。色彩をあまり濁さず、優雅で静かで今風に言えば、「心がほっこり」する作品を多数残遺している。

 島村達彦先生の信念が詰まった遺作の数々は、テクノロジーや経済が複雑に進化していく現代の社会の中で、「素朴でいいんだ」「好きなものを貫く」という

ブレずに生きるヒントを与えてくれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 



企業情報

企業名 株式会社 銀座柳画廊
代表者名 野呂 好彦
業種 その他サービス

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