あのラッピングバスがなぜ走るようになったのか!2000年から9年間で2800台の実績、業界先駆者YMG1の広告戦略の提案。
日本初のラッピングバスの先駆者として、ラッピングバスを東京都に提案したいきさつと歴史・背景を語っています。(株)ワイエムジーワン 代表取締役 山家一繁(53)
〜 ラッピングバスの先駆者として 〜 YMG1 代表取締役 山家一繁(53)
■フィルム業者としての出発
最近、街角でよく見かける路線バスに広告の表示された車両が都会のあちこちで見かけられます。ラッピングバスは若者の集まる渋谷駅では多くの広告物に負けず劣らずに存在感を示しています。今でこそ、世間様にラッピング事業を展開している会社ですと紹介すれば、10人中9人までは理解される業種として認識されるようになりました。
私がフィルムビジネスとであったのは、大学を卒業して就職はしたものの家業を営んでいた親父が体調をくずし1年足らずで東京へ戻ってから8年目1985年、30才のころです。当時、日本はバブル景気の前で世の中が何となく浮かれ始めてたころで、マーキングフィルム業界は日本電信電話がNTTに社名変更して、それまでのペイントによるサインの表示変更が、マーキングフィルムで行われた実績も出てきている頃でした。時代は塗る時代から貼る時代が到来したと、日経新聞まで大々的に取上げられた時期でした。私も当時、家業のゴム製品、接着材の販売で事業は頭打ちになり、業態変化をする事が必須と考えていた矢先のことです。
しかし、看板サインのフィルム商流に新参者の未経験者の当社が受けいられるわけもなく、マーキングは扱いはじめたが開店休業状態が3年ほど続きました。その当時、住友3Mのフィルムを当初より扱っていましたので、いろいろ業界の動向とUSの市場の話を聞く機会を多く持ち車両マーキングで企業の広告をする手法「フリート・マーキング」の存在をはじめて知りました。3Mが進めるフリートマーキングはフィルム業者が率先してクライントに提案していく日本では珍しいビジネス手法でした。
ところが日本ではまだまだ車両にフィルムを施工して広告効果があるとの認識はまったくなく(今でもあまりなく)企業の宣伝PR担当はマスコミの広告手法のみを広告と考え、相手にしてくれませんでした。そして、車両購入担当者に提案しても車両購入価格の上昇につながるとのことで、まったく意味をなさない営業の日々を送りました。唯一、営業先として快く話しを聞いてくれたのが、東京都を始めとする、役所です。ところが役所は売り込み業者として話を聞いてくれたのではなく、一人の住民として相手にしていただけでまったくトンチンカンな営業の日々でした。
■車両マーキングからラッピングバスへ
クライントに提案営業をしていく中で、チャンスの見極め方がだんだんと体得していきました。どうしたら車両にマーキングをするのか?対象顧客はどんな顧客か?笑い話ですが、銀行の営業車両は対象外です。なぜならば、銀行強盗をしてくださいと車両に意思表示する人はいません。そのうちトラック運送業者のサービスマークの登録が認められました。クロネコはヤマト運輸しか使用できないような許可申請のデザインシステムが決められました。とはいうものの、車両にマーキングする大きなトレンドにはなりません。そんな中にUSでラッピングという新しい概念のマーキング広告手法が誕生しました。
ラッピングの語源は遠くUSにさかのぼる事ができます。1994年カルフォルニアの会社が『FULL WRAP BUS』として全面に3Mマーキングフィルムを施工する広告手法を展開したのが始まりです。それまではフィルムを使用した車両への展開をフリート・マーキングと呼んでいました。フリートマーキングは直訳すると艦隊マーキングと訳され企業のロゴマークを全国同じ色、形で車両に施工していた経済的な手法です。
その後、バスラッピングは1996年のアトランタオリンピックで全世界に広まりました。日本では私がはじめてバス車体にフルラッピングしたラッピングバスをセールスプロモーションで開始したのが写真のMIBのビデオの販売プログラムのキャンペーンです。この案件を始めとして、バスケットのコビー・ブライアントデザインのアディダス、コーチ、マライヤキャリーCDキャンペーン、DoCoMo、ガクト、ラルクアンシエル、グンゼ、GAP、テインバーランド、等 数多くの著名なクライントに支持されました。
また1998年長野オリンピックでは多くのラッピングバスが採用されました。2000年に東京都交通局がバス車体広告で4月17日の解禁日に向けて、4日徹夜で100台のバスラッピングを制作施工しました。この都営バスラッピング広告で東京都は年間10億円の収入を上げ、財政状況の改善のお手伝いをしました。今では日本において全国2000台に及ぶバス車体広告(ラッピングバス)が存在しています。2006年のサッカーワールドカップではコカコーラのカウントダウン、バスラッピングSP(セールスプロモーション)に加わり大会の演出に一役買いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜 省 略 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■終わりにYMG1として
今ではラッピング広告はバスを始め、JR電車、地下鉄、タクシーに時代とともに発展して建築物、ビル、水門河川の堤防とあらゆる公共の施設まで表示されるようになりました。私はYMG1という会社を通してフィルムラッピングを社会貢献のツールとして環境整備に役立てるように事業展開していこうと考えています。
詳しくはWebサイトをご覧ください。
↓ ↓ ↓
http://www.yamaga-net.co.jp/
【本件に関するお問い合わせ先】
株式会社ワイエムジーワン
担当:代表取締役 山家一繁(やまがかずしげ)
TEL03-3635-1266
mail:info@ymg1.jp
URL:http://www.yamaga-net.co.jp/
《関連URL》
http://sumida-avenue.com/NewFiles/html/honshi/2008-04/20-04.html
http://www.yamaga-net.co.jp/products/p1.html
http://www.yamaga-net.co.jp/products/p9.html
http://www.yamaga-net.co.jp/topics/report/p29.html
http://www.yamaga-net.co.jp/topics/report/p30.html
■フィルム業者としての出発
最近、街角でよく見かける路線バスに広告の表示された車両が都会のあちこちで見かけられます。ラッピングバスは若者の集まる渋谷駅では多くの広告物に負けず劣らずに存在感を示しています。今でこそ、世間様にラッピング事業を展開している会社ですと紹介すれば、10人中9人までは理解される業種として認識されるようになりました。
私がフィルムビジネスとであったのは、大学を卒業して就職はしたものの家業を営んでいた親父が体調をくずし1年足らずで東京へ戻ってから8年目1985年、30才のころです。当時、日本はバブル景気の前で世の中が何となく浮かれ始めてたころで、マーキングフィルム業界は日本電信電話がNTTに社名変更して、それまでのペイントによるサインの表示変更が、マーキングフィルムで行われた実績も出てきている頃でした。時代は塗る時代から貼る時代が到来したと、日経新聞まで大々的に取上げられた時期でした。私も当時、家業のゴム製品、接着材の販売で事業は頭打ちになり、業態変化をする事が必須と考えていた矢先のことです。
しかし、看板サインのフィルム商流に新参者の未経験者の当社が受けいられるわけもなく、マーキングは扱いはじめたが開店休業状態が3年ほど続きました。その当時、住友3Mのフィルムを当初より扱っていましたので、いろいろ業界の動向とUSの市場の話を聞く機会を多く持ち車両マーキングで企業の広告をする手法「フリート・マーキング」の存在をはじめて知りました。3Mが進めるフリートマーキングはフィルム業者が率先してクライントに提案していく日本では珍しいビジネス手法でした。
ところが日本ではまだまだ車両にフィルムを施工して広告効果があるとの認識はまったくなく(今でもあまりなく)企業の宣伝PR担当はマスコミの広告手法のみを広告と考え、相手にしてくれませんでした。そして、車両購入担当者に提案しても車両購入価格の上昇につながるとのことで、まったく意味をなさない営業の日々を送りました。唯一、営業先として快く話しを聞いてくれたのが、東京都を始めとする、役所です。ところが役所は売り込み業者として話を聞いてくれたのではなく、一人の住民として相手にしていただけでまったくトンチンカンな営業の日々でした。
■車両マーキングからラッピングバスへ
クライントに提案営業をしていく中で、チャンスの見極め方がだんだんと体得していきました。どうしたら車両にマーキングをするのか?対象顧客はどんな顧客か?笑い話ですが、銀行の営業車両は対象外です。なぜならば、銀行強盗をしてくださいと車両に意思表示する人はいません。そのうちトラック運送業者のサービスマークの登録が認められました。クロネコはヤマト運輸しか使用できないような許可申請のデザインシステムが決められました。とはいうものの、車両にマーキングする大きなトレンドにはなりません。そんな中にUSでラッピングという新しい概念のマーキング広告手法が誕生しました。
ラッピングの語源は遠くUSにさかのぼる事ができます。1994年カルフォルニアの会社が『FULL WRAP BUS』として全面に3Mマーキングフィルムを施工する広告手法を展開したのが始まりです。それまではフィルムを使用した車両への展開をフリート・マーキングと呼んでいました。フリートマーキングは直訳すると艦隊マーキングと訳され企業のロゴマークを全国同じ色、形で車両に施工していた経済的な手法です。
その後、バスラッピングは1996年のアトランタオリンピックで全世界に広まりました。日本では私がはじめてバス車体にフルラッピングしたラッピングバスをセールスプロモーションで開始したのが写真のMIBのビデオの販売プログラムのキャンペーンです。この案件を始めとして、バスケットのコビー・ブライアントデザインのアディダス、コーチ、マライヤキャリーCDキャンペーン、DoCoMo、ガクト、ラルクアンシエル、グンゼ、GAP、テインバーランド、等 数多くの著名なクライントに支持されました。
また1998年長野オリンピックでは多くのラッピングバスが採用されました。2000年に東京都交通局がバス車体広告で4月17日の解禁日に向けて、4日徹夜で100台のバスラッピングを制作施工しました。この都営バスラッピング広告で東京都は年間10億円の収入を上げ、財政状況の改善のお手伝いをしました。今では日本において全国2000台に及ぶバス車体広告(ラッピングバス)が存在しています。2006年のサッカーワールドカップではコカコーラのカウントダウン、バスラッピングSP(セールスプロモーション)に加わり大会の演出に一役買いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜 省 略 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■終わりにYMG1として
今ではラッピング広告はバスを始め、JR電車、地下鉄、タクシーに時代とともに発展して建築物、ビル、水門河川の堤防とあらゆる公共の施設まで表示されるようになりました。私はYMG1という会社を通してフィルムラッピングを社会貢献のツールとして環境整備に役立てるように事業展開していこうと考えています。
詳しくはWebサイトをご覧ください。
↓ ↓ ↓
http://www.yamaga-net.co.jp/
【本件に関するお問い合わせ先】
株式会社ワイエムジーワン
担当:代表取締役 山家一繁(やまがかずしげ)
TEL03-3635-1266
mail:info@ymg1.jp
URL:http://www.yamaga-net.co.jp/
《関連URL》
http://sumida-avenue.com/NewFiles/html/honshi/2008-04/20-04.html
http://www.yamaga-net.co.jp/products/p1.html
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http://www.yamaga-net.co.jp/topics/report/p29.html
http://www.yamaga-net.co.jp/topics/report/p30.html
企業情報
企業名 | 株式会社ワイエムジーワン |
---|---|
代表者名 | 山家 一繁 |
業種 | 未選択 |
コラム
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