マレー半島における華人錫鉱業と海峡植民地【無料・登録不要】日本マレーシア学会(JAMS)関東地区研究会
日本マレーシア学会(JAMS)関東地区研究会/日時:2016年10月22日(土)14時~17時/場所:立教大学池袋キャンパス本館1103教室/タイトル:マレー半島における華人錫鉱業と海峡植民地:世紀転換期における生産・流通を中心に/発表者:東條 哲郎(東洋文庫東南アジア班研究員)/コメント:坪井 祐司(東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所)
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日時:2016年10月22日(土)14時~17時
場所:立教大学池袋キャンパス本館1103教室
タイトル:マレー半島における華人錫鉱業と海峡植民地:世紀転換期における生産・流通を中心に
発表者:東條 哲郎(東洋文庫東南アジア班研究員)
コメント:坪井 祐司(東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所)
概要:
19世紀後半から20世紀初頭、東南アジア各国の植民地化のなかで、シンガポールは自由貿易港として域内・域外との貿易の結節点となっていった。東南アジア各地では、植民地化の中で、一次産品の生産量が急増した。一方、華人は、増加しつつあった華人移民労働者を雇用して、主要一次産品の生産にも重要な役割を果たした。本報告では、マレー半島ペラの錫産業を例に、一次産品生産を通じて、域内経済の担い手となっていった華人企業家が結節点であるシンガポールとどのような関係性を作っていったかを検討する。
錫生産は、マレー半島の主要輸出産業であった。中でも半島西岸部のペラは、最大の錫生産地であった。錫生産は、1930年代にいたるまで、華人移民労働者を雇用する華人の経営する公司が生産の中心を担っていた。1880年代までのペラ錫鉱業において、シンガポールはペナンを結節点とする錫採掘にほとんど関係していなかった。シンガポールとペラ華人錫採掘の関係は、1890年代から1900年代における錫流通・錫投資の面での変化に伴い発生した。1890年代、海峡貿易会社が、キンタ川流域から産出された錫原鉱を、シンガポール対岸のブラニ島で一括精錬を始めた。これにより、従来精錬錫の形でペナン島に輸送されていた錫が、原鉱の形でシンガポールに輸送されるようになったことを意味する。
1900年代に入ると、シンガポール金融資本が、キンタ川流域の主要都市イポーに支店を開設し、華人錫生産への融資を始めた。華人系の銀行がシンガポールに設立され、華人錫産業への融資を積極的に行なった。また、ペラの錫鉱床経営者の中には、自らも銀行業に乗り出すものも現れた。即ち、世紀転換期、シンガポール資本が錫生産に資本、物流で関与し、ペラの華人がこれに対応してシンガポールとの関わりを強めた結果、シンガポールを頂点とし、地域を底辺とする錫生産・物流構造を形成していったのである。
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企業情報
企業名 | 立教大学観光学部舛谷研究室 |
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代表者名 | 舛谷鋭 |
業種 | 教育 |
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